» 仏法僧「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

仏法僧「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

  • 登場人物
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
まだ評価されていません。

伊勢の相可に拝志という氏を持つの男がいた。その男は若くして家を次世代に譲り、とくに不幸があった訳でも無いが、剃髪をし名を夢然と改めた。夢然は病に悩んだことも無く、様々な場所へ旅をする事を愉しんでいた。末の息子である作之治は夢然の頑固な性格を心配に思い、是非とも京の人々の穏やかさを見せたいと考え、共に京へと旅立った。

 一月程は二条の別荘へ、三月の末には吉野の奥の桜の花を見物してから馴染のある寺院に七日程泊まった。
「事のついでではあるが…」
作之治が口を開く。
「まだ高野山を見ていない。是非見に行こう。」

初夏の青菜の茂みをかき分けながら天の川を越え、摩尼の御山と呼ばれる高野山を目指した。そうして無事に高野山に着いたものの、その山道の険しさに悩まされ、ついには日が暮れてしまった。どうしたものかと二人は少し考えてから壇場や諸堂霊廟の全てを参拝し、寺院の側へ来た。
「ここに泊めて頂きたいのですが。」
そう尋ねたが、夢然の声だけが虚しく響き、申し出に応える者は誰もいなかった。しばらくして、近くを通りがかった者に御山の掟を聞くと、
「寺院僧坊と約束の無い者は麓に下りて夜を明かす他ありません。この山では旅人に一夜の宿を貸すことは無いのです。」
と言った。険しい山道を登って来たというのに、そのような掟を聞いてひどく落胆した。この老身には厳しいものがある、夢然が暫く悩んでいると、作之治が隣で呟いた。
「日も暮れた上に足も痛む、どうやってこの長い道を下れば良いのでしょうか。私は草の上で寝ても構いませんが、父上が病に倒れたらと思うととても辛いのです。」
それを聞いた夢然は言う。
「旅ではこのようなことを情趣などと言うものだ。このまま足に怪我を負いながら山を下ったとしても、我らの故郷まではまだ遠い。明日も何があるかわからないのだ、無謀なことは出来まい。ところで、この山は日本第一の霊場であり、弘法大師の徳は語れども語りつくせぬ程に広大なもの。皆がわざわざ此処に来て一晩中法事を行い、死後の暮らしを願い申し上げる程の場所である。今宵はそれに丁度良いだろう。霊廟で一晩中、読経し申し上げようではないか。」
二人は杉の下に続く暗い道を歩き続けた。霊廟の前にある燈籠堂に着くと、簀子縁に座り静かに念仏を唱えながら、夜の更けゆくのを寂しく感じていた。

 景観を損ねるような林も無く、整えられた霊地はとても良い。しかし寺院からは遠く、陀羅尼を誦す声や鈴錫を鳴らす音も聞こえない。木立は雲よりも高く伸び茂り、道に境を成す水の音は細々と澄み渡り物悲しさを感じた。眠ることも出来ず、夢然は小声で言う。

「そもそも弘法大師の霊徳とは、土石草木にも霊を与え、八百年ほど経た今でこそ益々新たかであり、尊いものだ。大師の功績や足跡は数多いが、この山こそが第一の霊場と云われる。その昔、大師がまだ御存命だった頃、遠い唐土に渡った時に、その国で感心した事があったそうだ。そして、

『この三鈷(さんこ)の留まった場所を我が教えを開く霊地とする』

と言いながら三鈷を上空へ投げると、その三鈷はこの山に留まった。壇場の御前にある三鈷の松こそ、その時投げた三鈷が落ち留まった場所だと聞く。この山の草木泉石の中には霊が無いものは無い。今夜、ここに一夜の宿をお借りすることとなったのも、現世以前からの善い縁というものだ。お前も若いからと云って、信心を怠ることの無いようにしなければならない。」

心細く響くその声を静かに聞いていると、御霊廟の後ろの林からだろうか、

「ぶっぱん、ぶっぱん」

と鳥の啼く声が山彦となって聞こえてきた。夢然は途端に目の覚めたかのように気になった。
「ほう、これは珍しい。あの啼いている鳥は仏法僧という鳥だ。この山に棲んでいるとは予てより聞いてはいたが、その声を聞いた者はいなかった。今夜ここで夜を明かすということは、罪を滅して善を成すことの兆しになるだろう。」
夢然は話を続ける。
「またあの鳥は清浄の地を好むらしい。上野の国迦葉山(かしょうざん)、下野の国二荒山(ふたらさん)、山城の国醍醐の峰、河内の杵長山(しながさん)など、仏法僧の棲む山は数多いが、とりわけこの山に棲んでいるということは、大師の詠まれたこのような詩偈(しげ)によって、世の人も良く知っているはずだ。

 『寒林独坐草堂暁 三宝之声聞一鳥
    一鳥有声人有心 性心雲水倶了了』
(寒林の草堂に一人座って夜明けを迎えると、仏、法、僧の三宝の声を仏法僧という名の一羽の鳥の鳴声として聞いた。鳥に声があり、それを聞く人にも心がある。鳥の声も人の心も、雲水と入混じって一つの悟りの境地に至る)

さらに、古い歌では

 『松の尾の峰静なる曙にあふぎて聞けば仏法僧啼』
(松尾山の峰が静かな夜明けに空を見上げて耳をすませば、仏法僧の鳴声が聞こえてくる)

そんな歌もあるほどだ。その昔、最福寺の延朗法師は世に比類のない法華者であったが、松尾山の御神はこの鳥を法師の側へ仕えさせていたという言い伝えがある。その為か、松尾山に仏法僧が棲んでいたというのも知られいた。今夜、不思議にも一羽の鳥の声がある。それも、ここにいながらにしてだ。これに感動しないことがあろうものか。」

そう言うと、夢然は俳諧の十七語を、しばらく考えた。

 『鳥の声も秘密の山の茂みかな』
 (神秘的な鳥の声が、真言宗の霊山である高野の山の茂みから聞こえてくることだ)

そう詠みながら旅時用の硯を取り出し、御灯の元で句を書付けた。もう一声鳥の声は聞こえて来ないものかと耳を澄ませる。しかし、思いがけない音が耳へ入ってきた。遠くの寺院の方から先払いの厳しい声が聞こえてきたのだ。次第にその声はこちらへと近づいてくる。
「こんな夜中に誰が参詣するというのだろうか…。」
怪しくも思ったが、その違和感に恐怖し親子は顔を見合わせ息を潜めた。声の方をじっと見詰めていると先払いの若侍の姿が現れた。若侍は橋板を荒々しく踏む。二人は驚き燈籠堂の奥へ隠れたが、若侍直ぐに二人を見付け声を張った。
「何者だ。殿がお通りになるのだぞ。すぐに降りよ。」
親子は慌ただしく簀子縁から降り、地面に伏して蹲った。程無くして人が集まってくる。多くの足音の中、高く靴を鳴らしながら一人の男が現れた。その男は鳥帽子を被り、直衣を纏った貴人であった。従者であろう四、五人の従者達は貴人の左右に座る。
「他の者達はまだ来ぬのか?」
貴人は従者達に問いかけた。
「まもなく参ることでしょう。」
従者達がそう答えると、また一群の足音が近づいてくる。威儀ある武士や、頭を丸めた入道が次々と現れる。武士達は一礼申し上げながら堂に昇った。
「何故こんなにも遅く来たのだ。」
貴人は不機嫌そうに武士達に言う。
「白江熊谷の両士が殿に大御酒を献上しようと言って、大変丁寧にに用意をしておりました故、私も新鮮な魚を一種差し上げようと存じまして。その為に殿の御供に遅れたので御座います。」
武士達は早々に酒や肴を連ねながら答えた。
「万作、酌をせよ。」
そう言う貴人に恐れ謹みつつ顔貌の美しい若侍が貴人に近づき瓶子を捧げる。あちらこちらに杯を巡らせ、次第にその様子は愉しそうに盛り上がる。
buppousou

そんな中、「この頃は紹巴(じょうは)の話を聞かぬ。紹巴を連れて参れ。」そう呼び継ぐ様子が伺えた。すると夢然の背後から平たい顔をしているが目鼻のくっきりした法師が現れた。法師は法衣を整え末座に座る。貴人は法師に古い話をあれやこれや聞くと、法師は貴人の問いに対し詳らかに答えていった。法師の話に感心した貴人は「彼に褒美をとらせよ!」とご機嫌になりながら言った。続いて一人の武士が法師に尋ねる。

「この山は大徳の僧が開山されたと云われ、土石草木も霊力の無いものは無いと聞く。ところが、玉川の流れには毒があるというではないか。人がその水を飲めば忽ち倒れてしまう程らしい。しかし弘法大師が、

 『わすれても汲やしつらん旅人の高野の奥の玉川の水』
 (毒があるということを忘れても、旅人は高野の奥の玉川の水を汲んだであろうか。)

と詠まれたというのを聞いたことがある。大師は何故この毒のある流れを涸らしては下さらなかったのだろうか。このような気がかりな事を、貴方はどのように考えるのか是非聞かせて欲しい。」

それを聞いた法師は答える。

「この歌は風雅集に選ばれ、収められたものであるな。その端詞にはこのような断りがある。

 『高野の奥の寺院へ参詣する道に玉川という川がある。この川の上流には毒虫が多いので、この川の水を飲んではいけないということを示した後に詠みました』

 ここまでは貴方の御記憶の通り。だが、貴方の御疑いになられたことも、また間違ってはいない。大師は神通力を自在に操り、人の目には見えない神を使役して道のないところに道を啓かれた。その姿は土を掘るよりも容易に岩を削り、大蛇を封印し、化鳥を従わせていたと云う。それは世の人が敬うほどの功績だっただろう。そのような事を鑑みれば、この歌の詞書こそ正しくはないと言える。
 本来、この玉川という川は諸国にある。玉川を詠んだ歌はどれも流れの清らかさを褒め称えたものだ。そのことから考えると、この玉川は何も毒のある川ではなく、このような名高い川がこの山にあるということを参詣の人は忘れていながらも、その流れの清らかさを愛でて手で掬ったのだろう、と言う事をお詠みになったのだ。ところが後世の人の、“毒がある”という間違った説からこの詞書が作られたのだと思われる。
 更に深く疑えば、この歌の調子は平安初期の言葉つきではない。大体、この国の古い言葉では、玉蔓玉簾珠衣の類はその形を誉め、また清らかな様子を誉める言葉であって、清水も玉水、玉の井、玉川と誉めるのものである。毒のある流れなどに、どうして玉という言葉を使うというのか。熱心に仏を崇める人で、歌の真意に明るくない者は、これくらいの間違いを幾らで犯すものだろうな。
 貴方は歌を詠まれる訳でもないのに、この歌の意を疑いになった。これは普段からの仏への心がけがあるということに他ならない。」

そう言い、法師は感心しながら笑みを浮かべた。貴人を始め、他の人々もこの道理にしきりに感心した。すると御堂の後ろの方から鳥の啼く声が聞こえた。

「ぶっぱん、ぶっぱん」

貴人はその声を聞き興奮する。
「あの鳥は決して鳴かなかったのに今宵の酒宴に華を添えたぞ!それを紹巴はどう詠もうか。」
杯を上げながら言うと、法師は慎みながら答える。
「私の短句は、今や殿の御耳には随分古臭いものとなってしまいました。実は、ここに旅人が夜明かししております。きっと今の世の俳諧を詠むんでくれることでしょう。殿には珍しいもので御座いましょうから、二人を召してどうぞお聞き下さい。」
貴人は「よし、呼んで来い」と従者に命じると、若い侍が夢然の元へ来て「殿がお呼びだ。近くへ参れ。」そう言った。夢然は夢か現かもわからず、ただただ恐ろしく思いながらも貴人の元へ這い出て行く。法師は夢然に向かい言った。
「先程詠んだ詩を殿の前で申すのだ。」
夢然はその言葉に恐る恐る申し出る。
「私は何と詠んだのでしょう。少しも覚えていないのです。どうかお許し下さい。」
そう夢然が言っても法師は再び急かす。
「秘密の山と申してはいなかったか。殿がお尋ねになっているのだ、早う申しなさい。」
夢然は益々恐ろしく思いながら辺りを見渡した。
「殿下とはどなた様でしょうか。また何故にこのような山奥で夜宴をされているのですか、どうしてもそれが気がかりでなりませぬ。」
法師は答える。
「我らが殿と呼び申し上げる御方は、関白秀次公に在らせられる。その他の者は、木村常陸、雀部淡路(ささべあわじ)、白江備後、熊谷大膳、粟野杢、日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿(とのも)、山田三十郎、不破万作。そして斯く云う私は紹巴法橋(じょうはほっきょう)だ。おぬし等は不思議にも殿にお目見えしたものだ。先ほどの言葉、急いで申し上げよ。」

もしも夢然の頭に髪があったとしたら、その髪が太くなるほどに、また肝も魂も消えてしまいそうな心地であった。夢然は震えながら頭陀袋から綺麗な紙を取り出す。そして、しどろもどろに句を書き出して差し出すと、山本主殿が受け取り、声高らかに詠み上げた。

 『鳥の声も秘密の山の茂みかな』

貴人はそれを聞くや否や「上手なものよ、誰かこの句に末句をつけるのだ」と言った。すると山田三十郎が席を立ち、「私がやってみましょう」と申し出た。山田三十郎は暫く悩んでから句をつける。

 『芥子たき明すみじか夜の牀』
 (芥子を炊きながら明かす、短い夏の夜の床)

山田三十郎はどうだろうかと紹巴に見せる。紹巴は「よくぞお考えになった。」と言って殿へと差し出した。殿はそれを見て
「うむ、悪くない。」
そう興じ、再び杯を上げて次々と他の者へと廻した。

そうして愉しんでいると淡路という者が突然顔色を変えた。
「もう修羅の時刻ではないか。阿修羅達が迎えに来るようだ。皆々共、どうぞお立ち下さい。」
そう言うと、
「いざ今夜も石田増田に一泡吹かせてやろうではないか!」
忽ち一座の人々の顔は血を注いだように赤くなり勇んだ。秀次公は木村常陸に向かって命じる。
「関係の無い奴らに我が姿を見せてしまったな。奴ら二人とも修羅道へ連れてゆけ。」
しかし老臣達がそれを遮った。
「彼らはまだ命の尽きぬ者共で御座います。どうか以前のような悪業はなさらず……。」
すると途端に、その言葉も、人々の姿も、遠くの空へ行くかのように掻き消えてしまった。

 親子は暫くの間気を失っていたようだった。夜が明けてゆく空の下、落ちる朝霜の冷たさが段々と気を取り戻してくれる。しかし、先ほどまで体験していた恐ろしさは晴れず、弘法大師の名を繰り返し唱えながら日が昇るのを待った。次第に日が昇るのを見計らって急いで山を降り、京へ帰っては薬や鍼で保養をとった。

 またある日のこと、夢然が三条の橋を通り過ぎる時、悪逆塚のことを思い出して、不意にその寺の方へと目を配った。
「白昼でありながら、物凄い様子であった……。」
と京の人に語ったのを、そのまま書き記したという。

<<夢応の鯉魚 || 吉備津の釜>>


「物語のタイトル」登場人物

<夢然>
伊勢の相可出身の拝志氏。家を次世代に継いだ後に夢然と名を改め旅などを愉しむ頑固な性格の男。

<作之治>
夢然の末の息子。夢然の頑固な性格を心配し、京の人々の穏やかさを知って貰おうと夢然を京の旅へと誘う

<法師(紹巴法橋-じょうはほっきょう)>
桃山時代の連歌師

<貴人(関白秀次公)>
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名。豊臣氏の2代目関白。豊臣秀吉の姉である瑞竜院日秀の長男。豊臣秀吉の命により高野山で切腹した出来事を秀次事件と呼ぶ。

<山本主殿助・山田三十郎・万作(不破万作)>
安土桃山時代、豊臣秀次の小姓衆。

<木村常陸>
豊臣秀次の後見役。常陸国の国司。茶の湯を千利休に学び台子七人衆のひとりとしても知られる。

<石田増田>
豊臣政権末期に秀吉遺言覚書体制に基き、主に政権の実務を担った五奉行である浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以のうちの二人。

お話の評価

ページトップ