» 倭建命の最期「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

倭建命の最期「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

  • 登場人物
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
5/5 (1)

倭建命は立ち上がり、再び歩いた。
神の怒りに触れた四肢は傷つき、残された力は限られていた。重たい身体を引き摺って、気の遠くなるような一歩を重ねる。
当芸野(たぎの)の辺りに着いたとき、ままならぬ焦燥にその身を焼かれ、呟いた。
「わたしの気持ちは、いつも空を飛び翔て行こうと思っていた。なのに、今、わたしの足は歩けなくなって、なかなか道を進めない」
それで、その地を当芸(たぎ)というようになった。
そこから、また少し進むと、酷く疲れて杖を衝いて歩いた。それで、その地を杖衝坂(つえつきざか)というようになった。
そして尾津崎の一本松の元に着くと、そこには、以前、食事をしたときに忘れた一振りの太刀が、そのまま残っていた。

尾張に 直(ただ)に向へる 尾津の崎なる 一つ松 あせを 人にありせば 大刀佩(は)けましを 衣(きぬ)着せましを 一つ松 あせを
(尾張国に直接向かい合っている尾津の崎に、真っ直ぐと立つ一本松よ。お前が人であったなら、大刀を佩かせるものを。着物を着せてやるものを)

一本松に別れを告げ、また進む。三重村に着くと、重たい息を吐いた。
「わたしの足は三重の勾餅(まがりもち)のようになって、酷く疲れてしまった」
それで、その地を三重という。そこからさらに進んで、能煩野(のぼの)に辿り着いた。
しかし、倭建命はとうとう座り込んでしまった。意識は掠れ、焦点を結ぶことさえ難しい。
(――まほろば……)
その脳裏を掠めたのは、懐かしい故郷の景色であった。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭しうるはし
(大和国は、国々の中でも最も良い国だ。重なりあって、青い垣を巡らしたような山々、その山々に囲まれた大和は、美しい国だ)

また、歌って、

命の 全(また)けむ人は たたみこも 平群(へぐり)の山の くま白檮(かし)が葉を うずに挿せ その子
(命の完全な人は、平群の山のくま樫の葉を髪に挿して、皆の者、その命を謳歌せよ!)

この二首は、国思歌(くにしのびうた)という歌である。

愛(は)しけやし 我家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も
(嗚呼、懐かしい我が家の方から、雲が立ち上っていることだ)

これは片歌である。そのとき、病が急に悪化した。

嬢子(をとめ)の 床の辺に 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや
(美夜受比売の床の傍に、わたしが置いていった剣よ。嗚呼、その草薙剣よ)

そしてその歌を最期に、ついに倭建命は身罷った。その報せは、早馬によって朝廷へと届けられた。
都で彼の帰還を心待ちにしていた后や御子たちは、大慌てで能煩野へと駆けつけた。御陵を造り、その周りの田の中を這い回って、皇子の死を嘆き悲しんだ。

なづきの田の 稲幹(いながら)に 稲幹に 匍(は)ひ廻(もとほ)ろふ 野老蔓(ところかづら)
(御陵の近くの田の稲の茎に、その稲の茎に這う野老の蔓のように、皇子の亡骸の周りを匍匐し、慟哭するわたくしたちよ)

すると、倭建命を埋葬した御陵から、一羽の白い鳥が現れた。

yamatake7

ーー嗚呼、あの方の魂は白鳥となったのだ。

后たちは頬を涙で濡らしたまま、惚けたようにその白く輝く姿を眺めていた。そのうちに、白鳥は微かに四肢を震わせたかと思うと、羽を広げ、空へと飛び立った。
「っ、お待ち下さいませ!」
后たちは我に返り、そのあとを追いかけた。
彼の喪に服した真っ白な装束をはためかせ、袴に結んだ足結(あゆい)を揺らめかせ、ただ夢中で走った。
小竹の切り株で足を傷つけても、その痛みさえ忘れて。踏みつけられた青草に、彼女たちの流した赤い花びらが点々と零れ落ちる。

浅小竹原(あさしのはら) 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな
(低い小竹の原を行こうとするけれど、腰に小竹がまとわりついて上手く歩けない。鳥のように空を飛ぶことも出来ず、二本の足で歩いて行くのは何ともどかしいのか)

白鳥はさらに飛ぶ。后たちは追いかけ、海へと入った。

海が行けば 腰なづむ 大河原の 植ゑ草 海がはいさよふ
(海を行こうとするけれど、腰に水がまとわりついて上手く歩けない。水中に生える水草が揺れるように、水に阻まれて早く進めないわ)

それから、白鳥は海岸の磯に止まった。

浜つ千鳥 浜よは行かず 礒(いそ)伝ふ
(浜の千鳥は歩きやすい浜伝いには飛ばず、岩や石の多い磯伝いに飛んでいく。ーーこれでは、追いかけて行くことも出来ないわ)

白鳥となった皇子の魂は、伊勢国から飛び立ち、河内国の志幾というところに留まった。この地に造られた御陵を、名付けて白鳥御陵という。
しかし、その地に留まるかと思われた白鳥は、そこからさらに空高く飛び去ってしまった。皇子を慕った人々は、それ以上、追いかけて行くことも出来ず、消えていく白い軌跡をただ見送った。
太陽の光を浴びて、きらきらと輝く白い羽は、自由への歓喜に満ち溢れているようにも思えた。

国のため、父のため、血濡れた剣を抱えて彷徨い続けた英雄の魂は、真っ白な鳥となって遠い空の彼方へと消えていった。

<<美夜受比売 ||成務天皇・仲哀天皇


「倭建命の最期」登場人物

<登場人物>
景行天皇の皇子。西征、東征を成し遂げるものの、伊吹山の神の逆鱗に触れ、最期を迎える。その魂は白い鳥の姿となった。

お話の評価

ページトップ