» 吉備津の釜「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

吉備津の釜「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

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「嫉妬深い女ほど手に負えないものはないけれども、それでも年老いてみればそのありがたみがわかる」とはいいますが、ああ、いったい誰がこんな愚かなことを言ったのでしょう。
その害がそれほどひどくなくたって、家業を妨げ、物を壊し、隣近所の悪口免れがたいものだというのに、その害が大きい場合は家を失い国を滅ぼして、のちのちまで天下の笑いものになってしまうのです。

昔から、嫉妬する女の毒に苦しんだ者は数限りなく多かったのでした。
嫉妬のあまり大蛇になり、あるいは雷を打ち鳴らして男に恨みを報いる類の女は、いくらその身を切り刻んで塩漬けにしても足りないものではありますが、さすがにそこまでの例は少ないものではあります。

男が自ら行いを正しくして女をよく教え導けば、このような害も自然と避けられましょう。それなのに、一時の浮気心などから女のねじ曲がった本性を募らせ、我が身に災いを引き寄せてしまうのです。

「樹上の鳥を動けなくするのは気合いである。妻を導くのはその夫の男らしさにある」といわれておりますが、まったくその通りではございませんか。

吉備の国賀陽の郡の庭妹(にいせ)の里に、井沢庄太夫という者がいました。
祖父は播磨の赤松氏に仕えていましたが、去る嘉吉元年の乱のときに、赤松氏の居城を逃げ去ってこの地に至り、庄太夫にいたるまでの三代の間、春に耕し秋に刈り入れて、家豊かに暮らしていました。
しかし一人息子の正太郎という者は、家業の農業を嫌うあまりに、酒に乱れて女に耽り、父の躾を守ろうとしませんでした。

父母はこれを嘆いてひそかに相談し、「ああ、どうにかしてどこか良家の美しい娘を嫁にあてがってやりたい。そうすれば、正太郎の身持ちも自然とよくなるだろうに」と、広く国中を探し求めます。
すると、さいわいなことに仲人になる人がいました。
「吉備津の宮の神主の香央造酒(かさだみき)の娘は、生まれつき美しく、父母にもよく仕え、そのうえ歌をよく詠み、琴にも優れています。もちろんかの家は吉備鴨別命(きびのかもわけのみこと)の後裔でもあり家系も正しいですから、あなたの家にとってもこの縁組は、きっと吉運のしるしとなることでしょう。わたくしとしてもこの縁組の成就を願うところではありますが、いかがでしょうか」
庄太夫はとても喜びました。
「よくぞ言ってくださいました。この縁組はわが家にとって千年先の繁栄にもなるめでたい話です。しかし香央家はこの国きっての名家であり、わたしの家は氏もない百姓にすぎません。とても家柄では匹敵しませんから、おそらく先方も承知なさらないでしょう」
仲人の老人は笑って、「ご謙遜が過ぎますよ。私がきっと話をまとめて、めでたい祝いの歌を歌ってみせましょう」と香央家へ行きました。
こちらの方でも喜んでその妻に相談すると、妻もいさみ喜んで、「娘はもう十七歳になりますから、朝夕よき人に嫁がせたいものだと心休まる日もありませんでした。さっそく吉日を選んで、結納を納めてくださいませ」と、早くも婚約が整います。
そのことを井沢家に伝えられればまもなく結納を十分に整えて送り届け、吉日を選んで婚儀をあげることになりました。

さらに幸運を神に祈るために、巫女や祝部を召し集めて御釜祓いを行いました。
そもそもこの吉備津の宮に参拝祈願する人は、多くの供物を備えて御釜祓いのお湯を奉り、吉凶を占います。巫女の祝詞が終わって湯が沸きたぎると、吉兆ならば釜が牛の吠えるかのように鳴り響き、凶兆ならば釜は音ひとつたてません。これを、「吉備津の御釜祓い」というのです。
ところが、香央家の今度の婚儀については、神が祈りを受納なさらなかったのか、釜は秋の虫が草むらですだくほどの小さな音さえたてませんでした。
そこで香央造酒は疑念を抱いて、その凶兆を妻に伝えました。しかし妻は少しも気にせず、
吉備津の釜
「お釜の音がしなかったのは、きっと祝部たちが身を清めなかったからでありましょう。既に結納を納めた上に、夫婦の縁を結んだ以上は、たとえ仇敵の家、異国の人であってもそれを取りやめることはできないと聞いていますものを。ことに井沢家は由緒ある武家の末裔で、厳格な家風の家だということですから、今更断っても承知するはずがありません。とりわけ婿君の美しいという噂をうすうす聞いて、娘も嫁入りの日を指折り数えて待ちわびているというのに、今このような悪い話を聞いてしまえば、どんな思いがけないことをしでかすかわかりません。そのときに後悔しても、もうどうしようもないのですよ」
と言葉を尽くして諌めようとするのは、道理よりも情を重んじる女の心ばえというものでしょう。
香央の父も、もともと願っていた縁組なので深く気にすることもなく、妻の言葉に従って婚儀は整えられ、両家の親戚氏族一同集まり、「鶴の千歳、亀の万代まで」とめでたく謡いはやしてお祝いしたのでした。

香央の娘である磯良(いそら)は、井沢家に嫁いでからは、朝は早く起き、夜は遅く寝て、いつも舅姑のそばを離れず、また夫の性格をよく心得て、心をこめて仕えました。
井沢老夫婦はその孝行と貞節が気に入って喜びを隠さず、また正太郎のほうも彼女の志がかわいくて、最初のうちは睦まじい夫婦仲でした。
しかし、正太郎の生まれつきの浮気性だけはどうしようもありません。いつ頃からか鞘の津(とものつ)の袖という遊女と馴染み深い仲となり、とうとう身請けして、近くの里に別宅を構えて家へ帰らなくなってしまいました。
磯良はこれを恨んで、あるいは親たちの怒りにかこつけては諌めても、正太郎はうわの空で聞き流すばかり。それどころか後には何ヶ月にわたっても帰らないという始末。舅は磯良のいじらしい振る舞いに見るに耐えかね、ついに正太郎をきつく叱って監禁してしまいました。

磯良はこのことを悲しんで、朝夕の身の回りの世話にもひときわ心を込めて、また内緒で袖のほうにも暮らしが立つようにと物を届けるなどして、真心の限りを尽くしました。
ところがある日、父が留守の間に、正太郎は磯良を甘言でたぶらかしていいました。
「そなたの信ある操をみて、今は自分の所業の罪深さを後悔するばかりです。あの女も故郷に送り返して、父上にも謝りましょう。彼女は播磨の印南野(いなみの)の者ですが、親もいない独り身なのが不憫でならなくて、つい情けをかけてしまったのです。自分に捨てられてしまえば、彼女はまた船頭相手の港の遊女になるしかありません。同じ浅ましい遊女勤めでも、都は人情の厚いところだと聞いています。彼女を都へ送り出して、身分の良い人にでも奉公させたいと思うのです。だから、そなたが旅費や旅の着物などをよく計らい、恵み与えてやってはくれないでしょうか」
磯良にしてみればこれ以上嬉しいことはなく、「そのことでしたらご案じなさらないでください」と内緒で自分の衣装や調度品などを売り払ってお金をつくり、そのうえ実家の母にも偽ってお金をもらい、正太郎に渡しました。
ところが正太郎はこの金を得るやいなやひそかに家を逃げ出して、袖を引き連れて都へ駆け落ちしてしまったのです。
これほどまでに欺かれ、今はただひたすらに恨み嘆くあまりに、ついに磯良は思い病に臥せってしまいました。井沢、香央両家の人々も、正太郎を憎んでは磯良を哀れみ、よい医者にみせて回復を祈りましたが、磯良はお粥さえ喉を通らず、なにごともおぼつかない様子でした。

さて、播磨の国印南郡荒井の里に、彦六という男がいました。この男は袖とは従弟という近い親戚だったので、二人はまずここに訪ねて、しばらく滞在しました。
彦六は正太郎にいいました。
「都だからといってすべての人に頼りがいがあるわけではないから、いっそここに留まりなさい。同じ釜の飯を分け合えば、ともに世渡りのはからいも立つでしょう」
その心強い言葉に正太郎もその気になり、ここに住むことにしました。彦六は隣のあばら屋を借りて二人を住まわせ、いい仲間ができたと喜びました。

ところがその矢先、袖は最初のうちは風邪気味だったものの次第に病が重くなって、物の怪が憑いたかのように物狂わしくなってしまいました。ここにたどり着いてから何日もたたないのにこのような災いが降りかかってしまった悲しさに、正太郎は飲み食いも忘れて付きっきりで介抱しました。ですが袖はただ声を上げて泣くばかりで、胸が締め付けられ耐え難いように悶えましたが、熱さえ下がれば普段となんら変わらないといった様子でした。
「生霊にでも取り憑かれたのだろうか、もしかしたら故郷に捨ててきた人が……」と正太郎はひとり胸を痛めていましたが、彦六がこれを諌めて、
「どうしてそんなことがあるだろうか。流行病にかかった苦しみは、今までたくさん見て知っている。少し熱が下がれば、夢が覚めたようによくなるだろうよ」と気安げにいうのが頼りでした。
ところが、少しの効き目もないどころか、みるみるうちにたった七日で袖は死んでしまいました。
正太郎は天を仰ぎ、地面を叩いて嘆き悲しみました。「一緒に死んでしまいたい」と気が狂ったようになるのを、彦六が様々に慰めます。このままではいけないと、ついに亡骸を荒野で火にくべました。
そしてその骨を拾い、塚を築いて墓標を立て、僧に頼んで手厚く菩提を弔ったのでした。

ひとりになった正太郎は、地に臥せって死者の魂を呼び戻そうとしましたができるわけがなく、空を仰いで故郷を思えばかえって地下にある死者の国より遠くなったように感じられ、前に進むことができなければ後ろへ帰る道もなく、昼間は終日打ち臥せり、夕方になるごとに墓へ詣でてみればそこには早くも雑草が生い茂り、虫の鳴き声がなんとももの悲しく響きます。
「この秋のわびしさがこんなにも身に染みるのは私だけだ…」と思い沈んでいると、思いがけず同じ死別の悲しみがあったようで、袖の墓の隣に新しく塚ができていました。
そこには世にも悲しげな様子で花を手向け、水をそそぐ女がいました。
「ああお気の毒に。まだお若いのに、よくこのような寂しい荒野を彷徨っていらっしゃる」と正太郎は声をかけます。
すると女は振り返って、「わたしは夜ごとにこちらへお参りをしますが、あなたは必ず先にお参りにいらっしゃいますね。さぞ忘れがたき人とお別れになったのでしょう。そのお気持ちをお察しすると悲しくてなりません」とさめざめと泣きます。
正太郎はいいました。「おっしゃる通りです。十日ほど前に愛しい妻を亡くしましたが、この世に取り残された心細さのあまり、ここに詣でることがせめてもの気晴らしとなっています。あなたもきっと同じ身の上なのでしょう」
「いいえ、私がお詣でしておりますのはご主人様のお墓でございまして、しかじかの日にここへ葬りました。家に残された奥様があまりにも悲しまれ、近頃は重い病気におかされていらっしゃいます。それで、私が代わりにお香や花をお供えしているのです」と女は言います。
「奥様が病に臥せってしまわれるのもわかります。いったい亡くなられた方はどのような方で、どこにお住まいだったのでしょうか」正太郎は尋ねました。
「ご主人様は、この国では由緒ある家柄の方でしたが、他人の謀に陥れられたために領地を失い、今はこの野の片隅で侘びしくお住まいでした。奥様は隣の国にまで知られた美しいお方でしたが、ご主人様はこの方のために家も領地も失ってしまわれたのです」女は答えました。
この物語を聞いて、正太郎はなにやら心惹かれるものがありました。
「それでは、その奥様方がひっそりとお住みになっていらっしゃるのはこの近くなのでしょうか。ぜひともお訪ねして、同じ悲しみを分かち合いたいものです。お連れください」
正太郎がいうと、女は「家はあなた様がおいでになった道を、少し引き返した所にあります。時々はお尋ねになってください。奥様もさぞお待ちのことでしょう」といって前に立ち、正太郎を案内しました。

二町あまりも来た所に細い道があり、そこから一町ほど歩いたところ、薄暗い林の中に小さな茅葺きの家がありました。
竹で編んだ扉ももの寂しく、七日過ぎの月の光が明るく差し込んで、広くない庭の荒れ果てた様子がよく見えます。か細い灯火の光が障子の紙越しに漏れ、どことなく寂しい風情でした。
「ここでお待ちください」と、女は中へ入っていきました。
苔むした古井戸のそばに立って中を覗き込むと、襖の少し開いた隙間から灯りの影が吹き煽られ、黒棚がきらめいてみえるのも奥ゆかしく感じられます。
女が出てくると、「あなた様のお訪ねのことを申し上げましたところ、『どうぞお入りください。物を隔ててお話したく思います』と、端近くまでにじり出ていらっしゃいました。どうぞこちらへお通りくださいませ」と前庭の植え込みをまわり、正太郎を奥の方へと連れて行きました。
二間の表座敷を人ひとり通れるだけ開けて、内には低い屏風が立ててあります。そこから古い布団の端がわずかにはみ出ていて、女主人はそこにいるかと思われました。
正太郎はそちらへ向かって、「ご不幸のうえご病気になられたと存じております。私も愛しい妻を亡くしたばかりでして、同じ悲しみをお聞きしお話申し上げようと、厚かましいことを承知でお伺いに参りました」と語りかけます。
すると女主人は屏風を少し開けて、「これは珍しいところでお会いできたものよ。これまでどれほどつらい思いをしてきたか、その報いを思い知らせてやる」と言うのに正太郎は驚き、よくよく見ると、それは故郷に捨ててきた磯良でした。
顔の色は青ざめ、だるそうな目でこちらを睨むその凄まじさ。自分を指差すその手がまるで死者のように青くやせ細ったあまりの恐ろしさに、正太郎は「うわあっ」と叫んでその場に倒れ、気を失ってしまいました。

しばらくして息を吹き返し、目を細く開いてみると、家と見えたのは以前からあった荒野の中の三昧堂で、そこには古びた仏が立っているだけでした。
正太郎は遠くの村里から聞こえてくる犬の声をたよりに家へと走り帰り、彦六にこのことを伝えました。
「なに、狐にでも騙されたのだろう。気が弱ったときは気を迷わす神がとり憑くものだ。あんたのようにひ弱な人が悲しみに沈んでいるときは、神仏に祈って心を静めなくてはいけない。刀田の里にありがたい陰陽師がいる。そこで禊をして護符をいただいてこよう」と彦六は正太郎を陰陽師のもとへ連れて行き、このことをはじめから詳しく話して、占ってもらいました。

陰陽師は占いを立てて、考え込んでいいました。
「あなたの災いは既に切羽詰まっており、容易ならざる状態にあります。先に女の命を奪ってもまだ恨みは尽きず、あなたの命も今夜か明朝かというほどに差し迫っているのです。この死霊がこの世を去ったのは七日前ですから、今日から四十二日間の間は戸をかたく閉め、物忌をしなさい。私の教えを守るのであれば、九死に一生を得られるかもしれません。ほんの少しでも間違えると、死を免れることはできませんよ」
陰陽師はかたく教え聞かせ、筆をとって正太郎の背中から手足に至るまで、古代漢字のような文字を書きつけました。さらに朱で書いたたくさんの護符を渡し、「この護符をすべての戸に貼りつけて、神仏を念じなさい。やりそこなって身を滅ぼしてはいけません」と教えるのを、正太郎は恐れおののきながらもありがたく思って家に帰り、護符を門に貼り、窓に貼り、厳重な物忌に籠りました。

その夜、真夜中を過ぎたころ、恐ろしい声で「ええい憎らしい。こんなところに御札を貼りやがったな」とつぶやくのが聞こえましたが、それきりなんの音もしません。あまりの恐ろしさに、正太郎は生きた心地がせず、その夜の長さを嘆きました。
まもなく夜が明けたので生気を取り戻し、正太郎は急いで彦六のもとへ駆けつけ壁を叩き、昨夜のことを語りました。
それを聞いて彦六も初めてその言葉が本当のことであったと信じ、自分もその夜は眠らず真夜中を待ち過ごしました。松に吹きつける風が物を吹き倒すかと思われるほど凄まじく、雨さえ振りまじってただならぬ様子でしたが、壁越しに声をかけあって、ようやく夜明け頃になりました。
すると突然この下屋の障子越しに赤い光が差して、「ええい憎らしい、ここにも御札が貼ってやがる」という声が。深夜にはひときわ恐ろしく、二人は髪も身の毛も総毛立って、二人共しばらくは気を失ってしまいました。

朝になれば昨夜の恐ろしさを語り、日がくれればまた夜が明けるのをひたすら待ちわびて、この数十日は千年の時が過ぎるよりも長く感じられました。あの死霊も毎夜家の周囲をめぐり、あるいは屋根の棟で叫んで、その怒りの声は一夜ごとに凄まじさを増していきます。
こうして、陰陽師に告げられた四十二日目の日がやってきました。
今はもう、あと一夜が明ければ全てが終わります。正太郎は特に慎んで一夜を過ごし、ようやくその夜明けの空も白く明るくなってきました。
正太郎は長い夢が覚めたかのようで、さっそく彦六を呼ぶと、彦六は壁に近づいて「どうだい」と答えました。
正太郎はといいました。「長い物忌もようやく終わったよ。長い間あなたの顔も見ていないし、この数十日の苦しさや恐ろしさを、思い切り話して気晴らしがしたい。目を覚ましてください。私も外へ出ます」
彦六は慎重というものを知らない人だったので、「今となっては何事もあるはずがない。さあ、こちらに来てくれ」と自宅の戸を半ばほど開けたとき、隣の家から「うわあっ」と叫ぶ声が耳を貫いて、思わず尻餅をつきました。

「これは正太郎の身になにかあったに違いない」と斧を引き下げて表通りに飛び出してみると、明けたはずの夜空はいまだ暗いままで、月は中空へかかっておぼろげな影をみせていました。風は冷たく、さて正太郎の家を見ると、戸が開け放たれたままで、正太郎の姿は見えません。内へと逃げ込んだのかと走って見ましたが、そのどこにもいません。隠れる場所がある家ではないので、表通りに倒れているのかと探し回りましたが、そのあたりにはなにも見えるものがありませんでした。
「どうしたのだろう」と不思議に思い、また一方では恐れおののきながら、正太郎は灯火をかかげてあちこちを探し歩きます。すると、先ほどの開け放たれた戸の脇にはなまなましい血が注ぎ流れて、地に滴り落ちていました。
しかし、そこには屍体も骨も見えません。月明かりでよくよく目をこらして見てみると、軒の先になにか物がぶらさがっています。灯火をかかげてよく照らしてみると、それは男の髷でした。他にはなにも見当たらないというのに――。
その呆れかえるほどの恐ろしさは、筆舌に尽くしがたいものでした。
夜が開けて近所の野山を探し回りましたが、とうとうそれらしき痕跡さえ見つけることは叶わなかったのです。

このことを井沢家へと申し送ってやると、涙ながらにも香央家にも伝えられました。
それにしても、陰陽師の占いのすぐれた的中、吉備津の宮の御釜祓いの吉凶も、ついに外れることはありませんでした。
のちの世の人々は、そのように語り伝えたのです。

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