» 夜刀神「常陸国風土記(行方郡の条)」

日本神話

日本神話

日本各国の風土記やアイヌ神話、
神社の社伝など古事記や日本書紀では
語られていない日本神話
御紹介致します。

夜刀神「常陸国風土記(行方郡の条)」

  • 登場人物
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
5/5 (1)

古老から伝え聞いた話である。
古老いわく、石村の玉穂の宮で天下をお治めになった継体天皇の御世に、ある人物がいたそうだ。
名を、矢括氏麻多智(やはずのうじのまたち)という。
この麻多智という男、郡役所より西の谷の芦原を切り開き、新たに田を開墾した。
この時、夜刀神(やとのかみ)が群れをなしてやって来ては田の耕作を妨害したのだと言う。

夜刀神というのはこの地に棲む蛇のことで、土地の人が言うことには胴体は蛇だが頭に角があるそうだ。一家で連れたって禍いから逃れるときに、振り返ってその姿を見る者があるとその一族は滅び、子孫が絶えてしまうと言う。この郡役所の側の野には大勢の夜刀神が棲んでいるそうである。

常陸国風土記(行方郡の条)-夜刀神

あまりにも酷く妨害されるので麻多智は激怒し、甲鎧を身にまとうと手に杖を持ち、群がる蛇体を打ち据えては殺し、追い払った。そしてその足で山の登り口まで行くと、その手に持つ杖を境界のしるしとして境の堀に突き立て、夜刀神に告げた。

「ここから上は、あなたたち神の地とすることを認めよう。しかしここから下は、私たち人間の田を作るべき土地である。今から後、私は神主となって後の世まで末永くあなたたちを敬い祭ることにする。だからどうか祟らないでくれ。恨まないでくれ」

そう言うと、麻多智は神社を作り始めて夜刀神を祭った。
そうしてさらに、神祭りのための田を十町あまり開墾し、麻多智の子孫は代々社の主を受け継いで祭りを執り行い、今に至るまで絶えることなく続いているのだと言う。

その後、難波の長柄の豊前の大宮で天下をお治めになった孝徳天皇の御世になると、壬生連麿(みぶのむらじまろ)が初めてその谷を占有し、池の堤を築かせた。
その時、夜刀神が池の辺の椎の木に昇り集まって、いつまで経っても立ち去ろうとしなかった。
そこで麿が大声で叫んで言うことには、
「何故この池を修築するかと言うと、人民の生活に活かし、人々を広く救うためだ。一体どこの神、何と言う土地神が天皇の徳化に従わないのか!」
そして労役の民に向かって
「目に見えるもろもろの物、魚や虫の類いは全て打ち殺せ、遠慮するな」
と命じたが、言い終わるやいなや、怪しい蛇神はことごとく隠れ去ってしまった。

ここで言ったその池は今、椎井の池(しいいのいけ)と名付けている。池の西にある椎の株から清水が湧き出ていることから椎に井の字を入れて名付けた。これは、香島の駅に向かう陸の駅道である。


お話の評価

ページトップ