» 国譲り‐天若日子‐「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

国譲り‐天若日子‐「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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さて、天菩比神が地上に派遣されてから三年のときが経ちましたが、高天原にはなんのご報告もございません。
そこで天照大御神と高御産巣日神は、またおおぜいの神々をお集めになりました。

「豊葦原国に派遣した、天菩比神が長い間なんの報告もよこさず、命令に従わないようです。こんどはどの神を遣わしたらよいでしょうか」

思金神はお答え申し上げました。
「天津国玉神(アマツクニタマ)の子、天若日子(アメワカヒコ)を遣わすのがよろしいでしょう」
天若日子はその名のとおり若く美しく、そして勇気のある神でございました。

そこで、天照大御神と高御産巣日神は、真鹿児弓(まかこゆみ)と天の羽羽矢(あまのははや)という、鹿を射る弓と大きな羽のついた矢を天若日子にお与えになり、地上に派遣されました。

ところが、天若日子は豊葦原国に降ると、すぐに大国主神の娘、下照比売(シタテルヒメ)というたいへん美しい姫と結婚し、この国を我がものにしてしまおうと考えました。
そして八年に至るまで、なんの報告もよこしませんでした。

高天原では、また天照大御神と高御産巣日神が、おおぜいの神々をお集めになります。

「派遣した天若日子が、長い間なんの報告もよこしません。天若日子が長く地上にとどまっている理由を問いただすのに、こんどはどの神を遣わすのがよいでしょうか」

おおぜいの神と思金神は、お答え申し上げました。
「鳴女(ナキメ)という名の雉を遣わしましょう」

二柱の神は、雉に仰せになりました。
「天若日子にこう尋ねなさい。『あなたを豊葦原国に遣わせたのは、その国の荒れすさぶ神々を説得して帰順させるためなのです。それなのに、八年も経つまでなんの報告もよこさず命令にも従わないとは、いったいどういうことなのですか』」

ご命令を受けた鳴女は、高天原から豊葦原国に降りてきて、天若日子の家の門にある神聖な桂の木にとまり、天若日子に天津神の仰せになったことを伝えました。

すると、天探女(アメノサグメ)がこの鳥のいうことをきいて、天若日子にこう言いました。
「あの鳥の鳴く声は、ひどく不吉ですわ。ですから、ご自身で射殺してしまいなさい」
天若日子は、天津神から渡されていた弓と矢を持って、すぐにその雉を射殺してしまいました。

ところがその矢は、雉の胸を貫くと、逆に天高く射上げられて、天の安河の河原にいらっしゃる天照大御神と高御産巣日神のところにまで届いてしまいました。

高御産巣日神は、その矢を手にとってごらんになりました。すると、羽に血がついているではありませんか。
「この矢は天若日子に与えたものに違いない」
高御産巣日神は、すぐにおおぜいの神々に矢をお見せになりました。

「もし天若日子が命令にそむかず、悪い神を射た矢がここに届いたのだというのならば、天若日子には当たるな。もし反逆の心があるのだとしたら、天若日子はこの矢に当たって、わざわいを受けなさい!」
そうして、高御産巣日神は矢の届いたときにあいた穴から、その矢を下界に投げ返されました。
そのとき、天若日子は寝床で寝ていました。高御産巣日神の投げた矢は天若日子の胸に命中し、天若日子は死んでしまいました。
国譲り‐天若日子‐

これが、いわゆる「返り矢」の発祥だといわれています。
また、「雉の頓使い(ひたつかい)」という、帰ってこない使者のことわざのはじまりにもなりました。

天若日子に先立たれた妻の下照比売の泣く声は、風とともに響いて高天原まで届きました。
すると天上にいる天若日子の父の天津国玉神とその妻子がその声を聞いて、高天原から降ってきて、泣き悲しみました。彼らはすぐにそこへ喪屋をつくると、さまざまな鳥に役割を与えて、八日八晩の間、死者を弔う歌舞をしました。

そのときちょうど、下照比売の兄である高日子根神(タカヒコネ)がやってきて、天若日子の死を弔っていました。
すると天上から降ってきた天若日子の父と、また下照比売は、その姿を見てみなその手足にすがり、泣きだしてしまいました。

「わたしの子が死なずに、ここにいるわ!」
「わたしの夫は、死なずにここにいらっしゃったのね!」

喪屋に安置された死者のたましいは、歌舞によってよみがえるといわれています。
彼らが高日子根神を死んだ天若日子と間違えてしまったのは、この二柱の神の顔や姿がたいへんよく似ていたからなのでした。

ところが、これをきいて高日子根神はたいへん怒ってしまいました。
「わたしは天若日子の親友だから、わざわざ弔いにやってきたのだ。なのになぜわたしを穢らわしい死人なんぞになぞらえる!」
高日子根神は腰にさした長剣を抜いて、その喪屋を切りたおし、足で蹴り飛ばしてしまわれました。
この蹴飛ばされた喪屋は、美濃国(現在の岐阜県南部)の藍見河の上流にある喪山という山でございます。

さて、高日子根神が怒ってそのまま飛び去ったときに、下照比売は兄神の正体を人々に明かそうと思い、こううたいました。

天にまします 若き棚織(たなばた)の 首にかかる 玉の御統(みすまる)よ
その御統の ああその穴玉のように
谷ふたつを輝き照らす
阿治志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)なのでございます

この歌は、夷振(ひなぶり)という田舎風の歌曲でございます。

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