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古代の物語

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小手姫伝説

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聖徳太子の父・用明(ようめい)天皇が崩御した後、蘇我馬子(そがのうまこ)は物部(もののべ)氏を倒し、用明天皇の弟である崇峻(すしゅん)天皇を立てました。
そこで蘇我馬子は思い通りの政治を目指しましたが、そう上手くはいきませんでした。
そこで蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺して、その妃である小手子姫(こてこひめ)を大和から追い出すように画策しました。

大和を追われた小手子姫は、父・大伴糠手(おおとものぬかて)と娘・錦代皇女(にしきてのひめみこ)と共に、奥州の果てに流された息子・蜂子皇子(はちこのみこ)を尋ね、尋ねて、川俣(現在の福島県伊達郡川俣地区)まで辿り着きました。
左右に連なる奥羽山脈・阿武隈山地が屏風のように風を和らげ、豊かな水をたたえて流れる阿武隈川のたたずまいが、故郷の大和に似ていることや、住まう人々の人情にひかれて姫はこの地に留まりました。
  
「この地は蚕を育てるのに良い土地でしょう」

そう言った姫は、芋ヶ作に住居を構えて、桑を植え、養蚕を始め、糸を紡ぎ、糸を繰り、機を織る手わざの数々を里人に伝授しました。
しかし、それからしばらくして、息子・蜂子皇子に会う事が出来ないことを嘆いた姫は、大清水の池に身を投げて亡くなりました。
小手姫

里人は大いに嘆き悲しんで、亡骸を、この小手郷を見渡せる山の高台に埋葬し、魂を鎮めるため、池のほとりに祠をたて、小手子姫を祀りました。
姫がとうとう亡くなるまで会えなかった息子・蜂子皇子は、いみじくも山形県鶴岡市の出羽三山の開祖とされる人物ということです。


「小手姫伝説」登場人物

<小手姫>
崇峻天皇(聖徳太子の叔父)の妃。
奥州の川俣の地で養蚕の技術を伝える。

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