» 巴:後編「謡曲」

中世の物語

中世の物語

平安時代の雅から一変武士の社会へと
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巴:後編「謡曲」

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——夜露に濡れし草枕。夜露に濡れし草枕。
日も暮れ夜になった。粟津が原にてあわれ世を去りし、亡影(なきかげ)いざや、弔わん。

「落花は世の虚しさを知って散る。流水には心無く、おのずから澄む。わたくしの心は澄み切って……」

——罪も報いも因果の苦しみ。
されど今は浮まん、仏法の功力に草木国土さえも成仏なれば。
いわんや有情の者への直道の弔。かれこれ何れも頼もしや。頼もしやあら有難や。

「おや、不思議なことだ。粟津が原で草を枕に旅寝をしていたら、さきほど見かけた女性が、武者のように甲胄を身につけている姿が見える」
「いかにも。わたくしは巴と申す女武者。女だからと、主君と御最期を共にすることを許していただけなかった。その恨みの……」
「ああ、あなた様は執心によって未だに……」
「主君にお仕え申し上げております。しかし」
「恨みはなおも」
「この荒磯海のように」

女武者の亡霊——巴は薙刀を取り、恨みの次第を舞い語り始めた。

『波打ち寄せる粟津の汀にて、御供し討死、末までも。
女だからと御最期に。捨てられ参らせし恨めしや。
この身は恩に報い、命は義に捧げる理を。知らぬ者があるものか。
白真弓(しらまゆみ)を取る武人として最期に臨み、功名を惜まぬ者はおらぬ』

義仲様が信濃を出陣なされたとき、五万余騎の御勢、轡(くつばみ)を並べて攻め上られた。
倶利伽羅峠、志保の合戦において数々の功名手柄をお立てになり、誰も並ぶものがなく、誰にも劣る振舞いもなかったのは、後の世語りで名声を失うまいという心からであった。

『されども時刻の到来。

運も尽き、槻弓(つきゆみ)を引く術も、退路もなく。
汀に波寄する粟津野の。草の露霜と消え給う。
処はここぞ、御僧達。同郷の人なれば、縁に従い、弔い給え』

——さて此原の合戦にて。討たれ給いし義仲の。最期を語りおわしませ。

『頃は睦月の空なれば。

斑に残る雪を、人の通い路と思って浜辺を目指し、馬をしるべに落ち給うたが。
薄氷張る深田に駆け込み、右も左も鐙は沈み、降り立つ術なく手綱に縋って鞭を打てども。馬は動かず進退極まり給えり。こは如何に嘆かわし。

かかりし所に駆け寄り見奉れば、義仲様、深手負い給いぬ。馬を乗り替え召させ参らせ、この松が根に御供をし、はや御自害候えと。巴も供にと申せども。
その時義仲様の仰せには。
「汝は女なり、忍び生きる術もあるべし。これなる守小袖(まもりこそで)を木曽に届けよ。この命に背かば主従三世の契絶え果て、永く許さじ」
巴はともかくも、涙にむせぶばかりなり。

かくして御前を立ち上り、見れば敵(かたき)の大勢。
あれは巴か女武者。余すな漏らすなと。敵手(かたきて)繁くかかり来る。
今は引くとも詮も無し。いで一戦(ひといくさ)嬉しやと。

巴:後編「謡曲」
少しも騒がすわざと敵を近くなさんと。薙刀敢えて引きそばめ、少し怖るる気色見せれば。敵は得たりと切ってかかれば。薙刀柄長く取りのべて四方を払い。八方払いに木の葉返し。嵐と落つるや花の瀧波(たきなみ)。一心不乱に戦いければ、皆一方に斬り立てられて、跡も遥かに見えざりけり。跡も遥かに見えざりけり。』

『今はこれまで。

立ち返り我が君を。見奉ればいたわしや。
もはや御自害候いて、この松が根に伏し給いたり。
御枕の傍に置き給う、御小袖と御守を泣く泣く賜りて、死骸に御暇申しつつ。行けども悲しや、行きやらぬ。君への名残を如何にせん。
そう思えども、御遺言に背けぬ悲しさに。
粟津の汀に立ち寄って上帯切り。具足心静かに脱ぎ置いて。梨打烏帽子かしこに脱ぎ捨てて。
形見なる御小袖を身に纏い、今際まで佩きたる小太刀を衣に引き隠し。
処はここぞ近江なる。信楽の笠を被きて。
涙と巴はただひとり、木曽の里へと落ち行きつ。
その後ろめたさの執心を。弔い給え、弔い給え。』

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「巴」登場人物

<巴(後シテ)>
木曽義仲に仕える女武者。
<木曽の僧(ワキ)>
木曽の山家から出てきた旅の僧。

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