» 教訓状(前)「平家物語-作者:藤原行長(異説有)-」

平家物語

平家物語

平家物語」は平家一門の栄華と
滅亡を描いた軍略期。平安末期の
貴族政治から武家政治への以降期に、
日本で起こった内乱が描かれています

教訓状(前)「平家物語-作者:藤原行長(異説有)-」

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 太政大臣平清盛は、このように多くの人々を拘留してもなお満足と思わなかったようである。
 赤地の錦の直垂に、黒糸縅の腹巻に銀の金物を打ち付けた胸板を身につけ、かつて安芸守をつとめていたときに厳島神社を参拝した折、霊夢によって厳島の祭神より下賜された銀の蛭巻の装飾を施した小長刀で、常日頃から枕辺に立てかけておいたものを脇に挟み、中門の廊へおいでになった。その様子は非常に恐ろしいものに見えた。
 清盛は自分の腹心の部下である平貞能を召した。
 筑後守貞能は木蘭地の直垂に緋縅の鎧を着て、清盛の御前に畏まった様子で参上した。

 ややあって、入道清盛はこのように仰った。

「貞能よ、おまえはこのことをどう思う。保元の戦の折、平右馬助こと我が叔父平忠正をはじめとして、我が平家一門の半数以上が新院(崇徳上皇)にお味方した。新院の一宮である重仁親王は亡き父上がお守りお育てした方であったので、この方をお見限りするのは大変心苦しかったが、私は鳥羽院のご遺戒に従ってあのお方のもとへ馳せ参じたのだ。これが第一の奉公である。

 次に平治元年十二月、藤原信頼や源義朝が院と帝を拘束して内裏に立てこもり、天下が暗闇となったとき私はこの身を捨てて凶徒を追い落とし、藤原経宗、惟方を召し捕るに至るまでに、あのお方のために命を落としそうになること数回に及んだ。

 たとえ世の人々が何と言おうとも、これより後七代まではこの一門をお捨てになるべきではない、そうではないのか。
 それにもかかわらず、藤原成親という無用の役立たず、西光という下賤の無礼者めが申すことを間に受けて我が一門を滅ぼそうとするあのお方、後白河法皇のご計画はまことに遺憾である。

 この後も法皇に讒言する者があれば、当家追討の院宣が下されることになるのだぞ。朝敵となってはどんなに悔いたところで何の益もない。
 世の中が鎮まるまで、法皇を鳥羽の北殿にお移し申し上げるか、しからずんばここへ行幸させ申し上げるのはどうか。
 そのような事態になれば法皇を守る北面の武士が矢の一本も射てこよう。侍どもに迎え撃つ準備をさせておけ。

 この入道、法皇への奉公はもはや思い切った。
 馬に鞍を置かせよ。大鎧を取り出せ」

 このことを聞いた主馬判官平盛国は急ぎ小松殿へ馳せ参じて、
「世間はすでにこの有様でございます」
 と申し上げた。
 大臣平重盛はその言葉を最後まで聞く前から、
「ああ、もはや成親卿の首が刎ねられたのだな」
 と仰った。

「そうではございませんが、入道殿は大鎧をお召しになっておられます。侍どもも皆奮起して、今にも法皇のおわす法住寺殿へ攻め入らんとしております。
 法皇を鳥羽殿へ押し込め申すとのことでございますが、内々では鎮西(九州)のほうへお流ししようとしているとのことでございます」
 盛国がそう申し上げると、大臣は、どうしてそのようなことがあるだろうかとは思えども、今朝の清盛の様子ではこのような馬鹿げたことでもやらかしかねないということで、車を飛ばして西八条へとおいでになった。

教訓状(前)

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「教訓状(前)」登場人物

<平清盛>
平家一門の当主。太政大臣、入道と呼ばれる。
<平貞能>
清盛の部下。筑後守。
<平盛国>
清盛の部下。主馬判官。
<平重盛>
清盛の嫡子。小松殿。

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