» 教訓状(後)「平家物語-作者:藤原行長(異説有)-」

平家物語

平家物語

平家物語」は平家一門の栄華と
滅亡を描いた軍略期。平安末期の
貴族政治から武家政治への以降期に、
日本で起こった内乱が描かれています

教訓状(後)「平家物語-作者:藤原行長(異説有)-」

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 門前で車から降り、門内へ入って見られると、入道が腹巻をつけておられるうえは、一門の公卿・殿上人が数十人、めいめいさまざまな直垂の上に思い思いの鎧を着て、中門の廊に二列に着席なさっている。そのほか諸国の受領、六衛府・諸役所の官人などは、縁にすわりきれないほどで、庭にもびっしりと並んでいた。旗ざおなどを引き寄せ引き寄せ、馬の腹帯を堅く結び、甲をかぶり、ただ今出発しようとする様子なのに、小松殿は烏帽子・直衣に大紋の指貫のももだちをとって、ざわざわと衣ずれの音をさせながらおはいりになるので、意外のように見えられた。

 入道は伏し目になって、
「ああ、例のとおり内大臣が世を軽んじるようにふるまうのだな。大いに叱ってやろう」
 とは思われた事だろうが、やはりわが子ながらも、仏教方面では五戒を守り続けて慈悲を第一とし、儒教方面では五常を乱さず礼儀を正しく行なわれる人なので、あの重盛の平服の姿に、腹巻をつけて対面することは、おもはゆく恥ずかしく思われたのだろう。襖を少し閉めて、素絹の法衣を腹巻の上にあわてて着られたが、胸板の金物が少しはずれて見えたのを隠そうと、しきりに衣の胸を引き合わせ引き合わせなさった。
 内大臣は弟の宗盛卿の上座に着かれる。入道も言い出される事もない。内大臣も申し出される事もない。しばらくたって入道が言われるには、
「成親卿の謀反は、物の数でもない。全く法皇のご計画であったぞ。世をしずめる間、法皇を鳥羽の北殿へお移し申し上げるか、さもなければここへでも御幸なさるようにしようと思うが、どうだろう」
 と言われると、内大臣は聞くやいなや、はらはらと泣かれた。入道は、
「どうした、どうした」
 とあきれておられる。

教訓状(後)

 内大臣は涙をこらえて申されるには、
「この仰せを承りますと、ご運はもはや末になったと思われます。人の運命が傾きかける時には、必ず悪事を思い立つものです。また父上のご様子、全く正気とも思われません。
 なんといってもわが国は辺鄙なけし粒ほどの土地とはいうものの、天照大神の御子孫が国の主として統治し、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の御末の藤原氏が朝廷政治をつかさどられて以来、太政大臣の官職に上った人が、甲冑で武装する事は、礼儀に背くのではありませんか。とりわけあなたはご出家の御身です。いったい三世の諸仏が、解脱のしるしである法衣を脱ぎ捨てて、急に甲冑をつけ、弓矢を持たれる事は、仏教のほうではもはや戒を破って恥じないという罪をもたらすばかりでなく、儒教のほうではまた、仁義礼智信の法にも背きましょう。
 どちらにしても恐縮な申し分ですが、心の奥に思う事を言い残すべきでありません。

 まず世に四恩があります。天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩がこれです。その中で最も重いのは朝恩です。広大な大空の下、天皇の領地でないという所はありません。ですから長官にしようといわれて穎川(えいせん)の水で耳を洗った許由、周の武王を諌めて入られず首陽山に隠れ蕨を食べていた伯夷・叔斉という賢人も、勅命に背くことはできぬという礼儀を心得ていたと聞いています。
 ましてや、父上は先祖にもまだ聞かなかった太政大臣という最高の官職になられますし、周知のとおりの私のような無才愚闇の身で、大臣の位にまで上りました。それだけではなく、日本全国の半分以上の国郡は一門の領地となり、荘園はすべて一家の思うままです。これは世にもまれな朝恩ではありませんか。
 今これらの莫大なご恩をお忘れになって、無法に法皇のご滅亡をはかられる事は、天照大神・正八幡宮の御心にも背く事になりましょう。
 
 日本は神国です。神は非礼をお受けになりません。
 ですから法皇の思い立たれた事は、半分ぐらい道理がないわけではありません。
 特に平氏一門は、代々の朝敵を平らげて、天下の反乱をしずめたのは、またとない忠義ですが、その褒美を受け自慢する事は傍若無人とも申すべきです。
 聖徳太子十七か条のご憲法に、
『人にはみな心がある。心にはそれぞれ固執するところがある。彼を是とすれば我は非であり、我を是とすれば彼は非である。是非の道理を、誰がよく定められようか。相互に賢であり愚であって、一つの輪のようにつながっていて端がない。それゆえたとえ人が怒っても、かえって自分に過失がないか反省し慎め』
 と見えています。
 そうですが、まだご運が尽きないために、法皇のご謀反の計画はすでに明らかになりました。そのうえご相談相手の成親卿をお召し置きになったうえは、たとえ法皇がどんなとんでもない事を思い立たれても、なんの恐れがありましょう。それ相当の処罰を行なわれたうえは、退いて事情をお述べになり、法皇の御ためにはいよいよ奉公の忠勤を励み、民のためにますます哀れみいつくしむようになさったなら、神の加護を受け、仏の思召しに背くはずはありません。神仏がこれに感じ答えてくださったなら、法皇も思い直される事がどうしてないでしょう。君と臣と並べた際、親しい疎いという区別をすべきではなく、君に従うべきです。道理とまちがった事とを並べた際には、どうして道理につかない事がありましょう」

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「教訓状(後)」登場人物

入道…平氏の棟梁・平清盛。
内大臣…平重盛。平清盛の嫡男。
法皇…後白河法皇。比叡山を攻めようと画策していた。
成親…藤原成親。後白河法皇の側近。

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