» 桜児「万葉集」

古代の物語

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桜児「万葉集」

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春さらば 挿頭(かざし)にせむと 吾が思もひし 桜の花は 散りにけるかも
(春になったら、髪飾りにしようと思っていた桜花。その花は散ってしまった)

妹が名に 懸かせる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに
(彼女と同じ名を持つ桜花。その花が咲いたなら、わたしは永久に恋い慕うことだろうか……毎年、毎年)

これらの歌には、ある少女の哀しい物語が隠されています。

むかし、むかしのお話です。
あるところに「桜児」と呼ばれる美しい娘がおりました。その名に相応しく、儚げな印象の、そして春の陽射しのような笑みを浮かべる優しい娘でした。

そんな彼女に想いを寄せるものは多く、中でも特に熱心な若者がふたりおりました。
その恋慕の情は激しく、互いに譲る気配もありません。やがて彼らは、生命さえ捨てて、争うようになりました。

「――嗚呼、どうしたら良いのかしら」

相手の死をも厭わず争うふたりの姿に、桜児は心を痛めました。同時に、争いの種となった自分を、強く責め立てました。

「今日まで、ひとりの女が、同時にふたりの男の妻となった話など聞いたことがないわ。けれど、わたくしがどちらかを選べば、選ばれなかったもうひとりは、相手をひどく憎むことになるでしょう」

乙女の横顔に、ひどく哀しい影が落ちました。けれど、そのとき、彼女の苦悩を目撃するものは誰もいませんでした。

「わたくしの力では、もう、どうすることも出来ない。こうなってしまった以上は……いっそ、わたくしが……――」

悲愴を抱え、桜児はひとり林へと入っていきました。
そして、紅色の帯を引き抜くと、自ら首を吊って死にました。
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彼女の死を知った男たちは、花びらのように軽い亡骸に縋りつき、血の涙を流して泣きました。
けれど、どれだけ懇願しても、一度散ってしまった花の生命は元には戻りません。ただ、行き場のないふたりの想いが、桜の雨に濡れて落ちていくだけ……。

春さらば 挿頭(かざし)にせむと 吾が思もひし 桜の花は 散りにけるかも
(春になったら、髪飾りにしようと思っていた桜花。その花は散ってしまった――我が妻にと望んだ桜児の生命は、桜花のように散ってしまったのだ)

妹が名に 懸かせる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに
(彼女と同じ名を持つ桜花。その花が咲いたなら、わたしは永久に恋い慕うことだろうか……毎年、毎年――自ら生命を絶ってしまった、桜児のことを思い出して)

一見、桜花を詠んだこの二首は、男たちが桜児の死を嘆いて詠ったものなのです。


「桜児」登場人物

<桜児>
桜の花の如く美しい少女。ふたりの男に求婚されるものの、彼らが争うのを嘆き、自ら生命を絶った。

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