» 欠史八代(綏靖天皇~開化天皇)「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

欠史八代(綏靖天皇~開化天皇)「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

  • 登場人物
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
まだ評価されていません。

 綏靖天皇

神沼河耳命(カムヌナカハミミノミコト)は葛城の高岡宮で天下を治めました。
天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の祖先となる河俣毘売(カハマタビメ)を娶りました。
そこで生まれた子供が、「師木津日子玉手見命(シキツヒコタマデミ)」の1柱です。
綏靖天皇は45歳で崩御なさいました。
御陵は衝田崗(ツキタノオカ)にあります。

 安寧天皇

師木津日子玉手見(シキツヒコタマデミ)命は片塩の浮穴宮で、天下を治めました。
この天皇は、河俣毘売(カハマタビメ)の兄の県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘の阿久斗比売(アクトヒメ)を娶り、生まれた御子は常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト)、大倭日子?友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト)、師木津日子命(シキツヒコノミコト)です。
三人の御子のうち、大倭日子?友命は天下を治めました。

また、師木津日子命には子が二人いました。
その一人は伊賀の須知(スチ)の稲置(イナキ)・那婆理(ナバリ)の稲置・三野の稲置の祖先です。
もう一人の和知都美命(ワチツミノミコト)は淡路の御井宮(ミイノミヤ)にいました。

和知都美命には娘が二人いました。
姉が蝿伊呂泥(ハヘイロネ)、別名を意富夜麻登久邇阿札比売(オホヤマトクニアレヒメノミコト)といいます。
妹の名前は蝿伊呂杼(ハヘイロド)といいます。

安寧天皇の享年は49歳。
御陵は畝火山の美富登(ミホト)にあります。

 懿徳天皇

大倭日子?友命は軽の境丘宮(サカイオカノミヤ)で天下を治めました。
懿徳天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の先祖の祖賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメ、別名イヒヒヒメ)を娶り、御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネ)と多芸志比古命(タギシヒコ)が生まれました。

このニ柱のうち、御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト)が天下を治めました。
多芸志比古命は血沼之別(チヌノワケ)・多遅麻(タヂマ)の竹別(タケノワケ)・葦井(アシイ)の稲置(イナキ)の先祖です。

懿徳天皇の享年は45歳。
御陵は畝火山の真名子谷の近くにあります。

 孝昭天皇

御真津日子訶恵志泥命は葛城の掖上宮(ワキガミノミヤ)で天下を治めました。
孝昭天皇は尾張連の祖先である奥津余曽(オキツヨソ)の妹である余曽多本毘売命(ヨソタホビメノミコト)を娶り、天押帯日子命(アメオシタラシヒコノミコト) と大倭帯日子国押人命(オホヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト) が生まれました。
弟の大倭帯日子国押人命が天下を治めました。

兄の天押帯日子命は 、春日臣(カスガノオミ) ・大宅臣(オホヤケノオミ) ・粟田臣(アハタノオミ) ・小野臣(ヲノノオミ) ・柿本臣(カキノモトノオミ) ・壱比韋臣(イチヒヰノオミ) ・大坂臣(オホサカノオミ) ・阿那臣(アナノオミ) ・多紀臣(タキノオミ) ・羽栗臣(ハグリノオミ) ・知多臣(チタノオミ) ・牟耶臣(ムザノオミ) ・都怒山臣(ツノヤマノオミ) ・伊勢の飯高君(イヒタカノキミ) ・壱師君(イチシノキミ) ・近淡海国造(チカツアフミノクニノミヤツコ) の祖先です。

孝昭天皇の享年は93歳。
お墓は掖上の博多山のあたりにあります。

 孝安天皇

大倭帯日子国押人命は葛城の秋津島宮で天下を治めました。

孝安天皇が忍鹿比売命(オシカヒメノミコト)を娶り、大吉備諸進命(オホキビモロススミノミコト)、大倭根子日子賦斗邇命(オホヤマトネコヒコフトニノミコト)の二柱が生まれました。
大倭根子日子賦斗邇命は天下を治めました。

孝安天皇の享年は123歳。
御陵は玉手岡のあたりにあります。

 孝霊天皇

大倭根子日子賦斗邇命は黒田の廬戸宮(イホトノミヤ)で天下を治めました。
孝霊天皇は、十市県主(トオチノアガタヌシ)の祖先である大目の娘の細比売命(クハシヒメ)を娶り、大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクルノミコト)が生まれました。
春日の千々速真若比売(チチハヤマワカヒメ)を娶り、千々速比売命(チチハヤヒメノミコト)が生まれました。
意富夜麻登玖邇阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメノミコト)を娶り、夜麻登登母母曽毘売命(ヤマトトモモソビメノミコト)・日子刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト) ・比古伊佐勢理毘古命(ヒコイサセリビコノミコト)――別名を大吉備津日子命(オホキビツヒコノミコト) ・倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ) の4柱が生まれました。
阿礼比売命(アレヒメノミコト)の妹の蝿伊呂杼(ハヘイロド)を娶り、日子寢間命(ヒコサメマノミコト)・若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト) のニ柱が生まれました。

孝霊天皇の子供たちは合わせると8柱。そのうち男が5柱で女が3柱です。

大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクルノミコト)が天下を治めました。
大吉備津日子命とは協力して針間(ハリマ)の氷河(ヒカワ)に忌瓮(神を祭るための酒瓶のこと)を置いて、入り口として吉備国を平定しました。 若建吉備津日子命は協力して針間(ハリマ)の氷河(ヒカワ)に忌瓮(神を祭るための酒瓶のこと)を置き、その入り口として吉備国を平定しました。
古事記より欠史八代(綏靖天皇~開化天皇)

大吉備津日子命は吉備の上道臣の祖先です。
若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)は吉備の下道臣(シモツミチノオミ)・笠臣(カサノオミ)の祖先です。
日子寤間命(ヒコサメマノミコト)は針間の牛鹿臣(ウシカノオミ)の祖先です。
日子刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト)は高志の利波臣(トナミノオミ)・豊国(トヨクニ)の国前臣(クニサキノオミ)・五百原君(イホハラノキミ)・角鹿済直(ツヌカノワタリノアタヒ)の祖先です。

孝霊天皇の享年は106歳。
御陵は片岡の馬坂のあたりにあります。

 孝元天皇

大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクルノミコト)は軽の堺原宮(サカヒハラノミヤ)で天下を治めました。

穂積臣の祖先である祖内色許男命(ウツシコヲノミコト)の妹のウツシコメ命を娶り、大毘古命(オホビコノミコト) ・少名日子建猪心命(スクナヒコタケヰゴコロノミコト) ・若倭根子日子大毘々命(ワカヤマトネコヒコオホビビノミコト) 三柱が生まれました。
内色許男命(ウツシコヲノミコト)の娘の伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)を娶り、比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)が生まれました。
また河内青玉(コウチノアオタマ)の娘の波邇夜須毘売(ハニヤスビメ)を娶り、建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)が生まれました。

孝元天皇の子供はあわせて5柱です。

このうち若倭根子日子大毘々命(ワカヤマトネコヒコオホビビノミコト)が天下を治めました。
その兄の大毘古命(オホビコノミコト)の子の建沼河別命(タケヌナカハワケノミコト)は安部臣の祖先です。
比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケノミコト)は膳臣(カシワデノオミ)の祖先です。
比古布都押之信命(ヒコフツオシノマコトノミコト)は、尾張連(オハリノムラジ)などの祖先の意富那毘(オホナビ)の妹の葛城の高千那毘売(タカチナビメ)を娶り、味師内宿禰(ウマシウチノスクネ)が生まれました。味師内宿禰は山代の内臣の祖先です。 また、木国造(キノクニノミヤツコ)の祖先の宇豆比古(ウヅヒコ)の妹の下影日売(ヤマシタカゲヒメ)を娶り、建内宿禰(タケシウチノスクネ)が生まれました。建内宿禰の子供は合わせて9人。男が7人で女は2人です。

その建内宿禰の子供のうちの波多八代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)は波多臣(ハタノオミ)・林臣(ハヤシノオミ)・波美臣(ハミノオミ)・星川臣(ホシカハノオミ)・淡海臣(アフミノオミ)・長谷部君(ハツセベノキミ)の祖先です。
建内宿禰の子供の一人、許勢小柄宿禰(コセノヲカラノスクネ)は、許勢臣(コセノオミ)・雀部臣(サザキベノオミ)・軽部臣(カルベノオミ)の祖先です。
建内宿禰の子供の一人、蘇賀石河宿禰(ソガノイシカハノスクネ)は、蘇我臣(ソガノオミ)・川辺臣(カハベノオミ)・田中臣・高向臣(タカムクノオミ)・小治田臣(ヲハリダノオミ)・桜井臣・岸田臣(キシダノオミ)等の祖先です。
建内宿禰の子供の一人、平群都久宿禰(ヘグリノツクノスクネ)は、平群臣(ヘグリノオミ)・佐和良臣(サワラノオミ)・馬御?連(ウマノミクヒノムラジ)等の祖先です。
建内宿禰の子供の一人、木角宿禰(キノツノノスクネ)は、木臣(キノオミ)・都奴臣(ツヌノオミ)・坂本臣(サカモトノオミ)の祖先です。
建内宿禰の子供である、久米能摩伊刀比売(クメノマイトヒメ)、怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)、次に葛城(カヅラキノ)長江(ナガエノ)曽都毘古(ソツビコ)は、玉手臣(タマデノオミ)・的臣(イクハノオミ)・生江臣(イクエノオミ)・阿芸那臣(アギナノオミ)等の祖先です。
建内宿禰の子供の一人、若子宿禰(ワクゴノスクネ)は、江野間臣(エノマノオミ)の祖先です。

孝元天皇の享年は57歳。
御陵は剣池の中崗のあたりにあります。

 開化天皇

若倭根子日子大毘々命(ワカヤマトネコヒコオホビビノミコト)は春日の伊耶河宮(イザカハノミヤ)で天下を治めました。

開花天皇は丹波の大県主の由碁理(ユゴリ)の娘の竹野比売(タカノヒメ)を娶り、比古由牟須美命(ヒコユムスミノミコト)が生まれました。
継母の伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)を娶り、御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニヱノミコト)と御真津比売命(ミマツヒメノミコト)が生まれました。
また丸邇臣(ワニノオミ)の祖先の日子国意祁都命(ヒコクニオケツノミコト)の妹の意祁都比売命(オケツヒメノミコト)を娶り、日子坐王(ヒコイマスノミコ)が生まれました。
葛城の垂見宿禰(タルミノスクネ)の娘の?比売(ワシヒメ)を娶り、建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)が生まれました。

開化天皇の子供は5柱。 男4柱。女1柱です。

御真木入日子印恵命は天下を治めました。
祟神天皇の兄の比古由牟須美王(ヒコユムスミノミコ)の子供はオオツツキタリネ王(大筒木垂根王)、讃岐垂根王(サヌキタリネノミコ)の二王です。このニ王には娘が5人いました。

日子坐王(ヒコイマスノミコ)が山代の荏名津比売(エナツヒメ、別名は苅幡戸弁)を娶った産まれた子が大俣王(オホマタノミコ)、小俣王(ヲマタノミコ)、志夫美宿禰王(シブミノスクネノミコ)の三柱です。
また日子坐王が春日の建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘の沙本の大闇見戸売(オホクラミトメ)を娶って産んだ子が沙本毘古王(サホビコノミコ)、袁耶本王(オザホノミコ)、沙本毘売命(サホビメノミコト、別名を佐波遅比売)です。沙本毘売命は伊久米天皇の后となりました。次に室毘古王(ムロビコノミコ)の4柱です。

また、日子坐王は近淡海(チカツアフミ)の御上祝が信奉する天之御影神(アメノミカゲノカミ)の娘を娶って産んだ子供が、丹波比古多々須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシノミコ)、水穂之真若王(ミヅホノマワカノミコ)、神大根王(カムオホネノミコ、別名は八瓜入日子王)、水穂五百依比売(ミヅホノイホヨリヒメ)、御井津比売(ミイツヒメ)の5柱です。
また日子坐王が母の妹の袁祁都比売命(ヲケツヒメノミコト)を娶って産んだ子供が大筒木真若王(オホツツキマワカノミコ)、比古意須王(ヒコオスノミコ)、伊理泥王(イリネノミコ)の三柱です。

日子坐王の子供は合わせて11王です。

日子坐王の第一子の大俣王(オオマタノミコ)の子供は、曙立王(アケタツノミコ)と菟上王(ウナカミノミコ)のニ柱です。
曙立王は伊勢の品遅部君(ホムヂベノキミ)・伊勢の佐那造(サナノミヤツコ)の祖先です。
菟上王は菟上王(ウナカミノミコ)は、比売陀君(ヒメダノキミ)の祖先です。
日子坐王の第二子の小俣君(オマタノミコ)は当麻勾君(タギマノマガリノキミ)の祖先です。
日子坐王の第三子の志夫美宿禰王(シブミノスクネノミコ)は、佐々君(ササノキミ)の祖先です。
日子坐王の第四子の沙本毘古王(サホビコノミコ)は、日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先です。
日子坐王の第五子の袁耶本王(ヲギホノミコ)は、葛野之別(カヅノワケ)・近淡海(チカツアフミ)の蚊野之別(カノノワケ)の祖先です。
日子坐王の第六子の室毘古王(ムロビコノキミ)は、若狭(ワカサ)の耳別(ミミノワケ)の祖先です。
日子坐王の第七子の美知能宇志王(ミチノウシノミコ)、丹波(タニハ)の河上(カハカミ)の麻須郎女(マスノイラツメ)を娶って産んだ子が、比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)、真砥野比売命(マトノヒメノミコト)、弟比売命(オトヒメノミコト)、朝廷別王(ミカドワケノミコ)。四柱。この朝廷別王は、三川(ミカハ)の穂別(ホノワケ)の祖先です。

美知能宇斯王(ミチノウシノミコ)の弟、水穂真若王(ミヅホノマワカノミコ)は、近淡海(チカツアフミ)の安直(ヤスノアタヒ)の祖先です。
神大根王(カムオホネノミコ)は、三野国(ミノノクニ)の本巣国造(モトスノクニノミヤツコ)・長幡部連(ナガハタベノムラジ)の祖先です。
山代の大筒木真若王(オホツツキマワカノミコ)が、弟である伊理泥王(イリネノミコ)の娘の、丹波の阿治佐波毘売(アヂサハビメ)を娶って産んだ子が、迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ)です。
この迦邇米雷王が丹波の遠津臣(トホツオミ)の娘の、高材比売(タカキヒメ)を娶って産んだ子供が、息長宿禰王(オキナガノスクネノミコ)です。
この息長宿禰王が葛城の高額比売(タカヌカヒメ)を娶った産んだ子が、息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)、虚空津比売命(ソラツヒメノミコト)、息長日子王(オキナガヒコノミコ)の三柱です。
この息長日子王は吉備の品遅君(ホムヂノキミ)・針間(ハリマ)の阿宗君(アソノキミ)の祖先です。
また息長宿禰王、河俣(カハマタ)の稲依毘売(イナヨリビメ)を娶って産んだ子が、大多牟坂王(オホタムサカノミコ)です。大多牟坂王は多遅麻国造(タヂマノクニノミヤツコ)の祖先です。

先に述べた建豊波豆羅和気王(タケトヨハヅラワケノミコ)は、道守臣(チモリノオミ)・忍海部造(オシヌミベノミヤツコ)・御名部造(ミナベノミヤツコ)・稲羽の忍海部(オシヌミベ)・丹波(タニハ)の竹野別(タケノワケ)・依網(ヨサミ)の阿毘古(アビコ)等の祖先です。

開化天皇の享年は63歳。
御陵は伊耶河(イザカハ)の坂の上にあります。

<<神武東征 -当芸志美々命の反逆- || 三輪山伝説>>


お話の評価

ページトップ