» 沙本毘古と沙本毘売(後篇)「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

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古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

沙本毘古と沙本毘売(後篇)「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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皇后沙本毘売は、垂仁天皇に兄である沙本毘古の謀反を告げられました。
謀反を知った天皇は、軍勢を集め沙本毘古を討伐されようとした時の事です。

沙本毘売は、兄への思いを捨てきれず宮廷の裏口から抜け出し兄のいる稲城へと入られました。
この時、沙本毘売は天皇の御子を身篭られていたのです。

天皇も沙本毘売が身篭られている事を存じておりました。

天皇は沙本毘売が身篭られているということ、また沙本毘売をご寵愛になり3年もの間大切になさったこともあり稲城を包囲した軍勢に総攻撃を命じられませんでした。

このように対峙したまま戦が進まぬ間に沙本毘売は御子をご出産になられたのです。
沙本毘売は、御子を稲城の外に置き天皇に申し上げました。
「もしこの子が天皇の御子とお思いになるならこの子を引き取ってお育てください」

天皇はこうお答えになられました。
「そなたの兄を憎んでいる。しかしながら今もなお皇后が愛しくてたまらない」

天皇は沙本毘売を取り戻したいお心がおありになったのです。
そこで軍人の中でも力が強く俊敏な者を選りすぐりその者たちにお命じになられました。
「御子を受け取るときを見計らい皇后を連れ戻すのだ。髪や手つかめる所を見つけて稲城から引っ張り出せ」

ところが沙本毘売はそんな天皇の心の中をわかっておりました。
沙本毘売は髪を剃り落として剃り落とした髪を頭にのせ、玉を連ねた腕輪の紐も腐蝕させてものを手に三連に巻きつけ、酒でお召し物を腐蝕させてあたかもいつもと変わらぬ衣装であるかのように振る舞われました。

このような準備が整ったのち御子を抱き稲城の外へと向かわれたのです。
御子を兵士に差し出すと兵士たちは御子を抱き取ると沙本毘売を捕まえようとしました。

ところが髪を掴めばぽろりと髪が落ち、手を取ると玉の紐が千切れ、着物を取るとすぐに破れてしまい兵士たちは諦めて御子だけを連れ天皇の元に戻りました。
そして、天皇に一部始終を報告しました。
「御髪は落ち、お召し物はすぐに破れ、御手に巻かれていた玉の紐も容易く千切れてしまいました。そのため御子をお連れすることは出来ましたが、皇后様をお連れすることは叶いませんでした」

それを聞いた天皇は後悔なさり、兵士や玉を作った者をお恨みになり、玉作りたちの所有地を全て召し上げてしまわれました。
その事から諺に「地得ぬ玉作と曰うなり(玉造の人々は土地を持たない)」というのです。

その後天皇は、籠城する沙本毘売にお尋ねになります。
沙本毘売と沙本毘古
「御子の名前は、皇后が決めることとなっている。この子の名前はどのようにしたらよいものか」

沙本毘売は答えます。
「今、稲城を焼く時に炎の中で産まれました。故にその子の御名は本牟智和気御子(ほむちわけのみこ)と名付けましょう」

続けて天皇はご質問をされます。
「この御子はどのように養育するべきか」

沙本毘売は答えました。
「乳母を決めて、大湯坐、若湯坐を定め、教育申し上げればよろしゅうございます。」

天皇は更に質問を投げかけた。
「そなたが結び堅めた下紐は誰が解くというのか(※1)」

沙本毘売は答えます。
「丹波国の旦波比古多多須美知能宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのみこ)の娘、兄比売と弟比売という姉妹がおります。姉妹は心清く忠誠な民でございます。どうぞお召しいれくださいませ」

それから天皇はついに総攻撃を決意され沙本毘古をお討ちになられました。
その妹である皇后沙本毘売も兄と共にご逝去されました。

※1:男女が互いに結んだ下紐は他人に解かせない風習。后は誰にすればよいかと問われました。

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