» 浅茅が宿「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

浅茅が宿「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

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下総の国、葛飾郡真間の里に、勝四郎という男がいました。
祖父の代から長いあいだここに住み、田畑を多く所有して豊かに暮らしていましたが、生まれつき物事に無頓着な性格なせいで、農作が嫌だと疎かにしているうちに、ついに家が貧しくなってしまいました。
そうこうしているうちに親戚のほとんどにも疎んじられてしまったことを、口惜しいことだと深く思い込み、勝四郎はどうにかして家を立て直そうとあれこれ思案をめぐらせました。
その頃雀部の曾次という人が、足利染めの絹を取引するために、毎年京から下ってきていましたが、彼はこの里に親族がいるので真間の里へしばしば訪れており、かねてより親しくしていたので、商人となって京へ参り上りたいということを頼んでみると、雀部は快く了承して、いつ出立するか尋ねました。
雀部が頼りになることを嬉しく思って、残った田畑も全て売り尽くしてお金に変え、白絹をたくさん買い込んで京へ行く日に向けて準備しました。

勝四郎の妻の宮木という人は、人目をひくほどの美しい容貌で、気立てもしていて賢い者でした。
今度は勝四郎が商品を買い込んで京へ行くと言い出したのを、困ったことになったと思い、言葉を尽くして諌めましたが、いつも思い立ったらひとの話を聞かない性格なうえに、今度はさらに思い詰めているので、仕方なく、今後の生活が心配だったにも関わらず、甲斐甲斐しく旅支度を整えて、出立の夜は離れがたい別れをしみじみと語りました。
「あなたに旅立たれて、蓄えもないこの家にひとり残される心細い女心は、まったく途方に暮れるばかりで、このうえなくつらいことでございます。朝夕わたしのことをお忘れにならずに、早く帰ってきてください。命さえあればとは思いますが、明日はどうなるか分からない世の中ですから、どうかお強い男心にも哀れんでくださいませ」
そう言う宮木に勝四郎は、
「どうして浮木のように不安な気持ちと生活のまま、知らない国に長居をするものか。葛の葉が風で翻る秋にはきっと帰ってくるよ。心強く待っていなさい」
と言い慰めて、夜が明けた頃に出発して京の方へ急ぎました。

この年、享徳四年の夏、鎌倉公方足利成氏と管領の上杉氏が不仲になって、その戦火で公方の館が跡形もなく焼き払われてしまい、公方は下総の味方へ亡命なされましたが、それ以来、関東一帯はたちまちのうちに大混乱に陥り、ばらばらで統一のない世の中となってしまい、老いた者は山へ逃げ隠れ、若い者は兵士として駆り出され、今日はここを焼き払う、明日は敵が押し寄せてくるぞと、女子供たちは東西あちこちに逃げ回って泣き悲しみます。
勝四郎の妻も、どこかへ逃れたいと思うものの、この秋まで待てという夫の言葉を心待ちにして、安心のできない心でただ日々を数えて暮らしていました。
ところが秋になっても勝四郎から風の頼りさえ来なければ、悪くなっていく一方な世相とともに、薄情なお方だと、宮木は恨めしくがっくりと気落ちしました。

身のうさは 人しも告げし あふ坂の
夕づけ鳥よ 秋も暮れぬと
(夫の帰りを待つ我が身のつらさは誰も夫には告げてくれない。
逢坂の鳥よ、もう秋は暮れてしまいましたよと夫に告げてください)

このように歌を詠んでも、京は遠い国なので、歌を送る手段もありません。
世の中が騒がしくなってくるにつれ、人の心も恐ろしくなっていきました。ときどき訪ねてくる者も、宮木の容姿端麗なところを見ては親切にかこつけて様々に誘惑しましたが、宮木は貞操を固く守って冷淡にあしらい、あとは戸を閉じて閉じこもってしまいました。
ひとりの下女も暇を取り、少しの蓄えもなくなって、その年も暮れてしまいます。
年が改まっても、世の中の乱れはなお収まりませんでした。
そのうえ去年の秋、京都室町将軍家の命令として、美濃の国郡上の主、東の下野守常縁が征伐の指揮官に任命されて下総の領地に下り、一族の千葉実胤と共同戦線を張って攻めたので、公家方も固く守って防戦したために、いつ戦いが終わるかも分からなくなってしまいました。
野武士はここかしこに砦を構え、民家に火を放って略奪ほしいままにしています。
関東八州どこにも安定した場所はなく、情けないほど浅ましい世の中でありました。

勝四郎は雀部に付いて京へ行き、白絹などを残らず売り尽くしましたが、当時の都は華美を好む時期で、いい儲けを得て東へ帰る用意をしていたら、今度は上杉の軍勢が鎌倉公方の御所を攻め落とし、逃げる成氏をなお追撃したために、故郷周辺はどこもかしこも戦争さわぎで、戦場となったことが、世間で評判になりました。
目の前のことでさえ偽りの多い世間の噂だというのに、ましてや遠く隔たった国の出来事であるから気が気ではなく、八月の始めに京を出発して木曾の真坂を日暮れにかけて越えようとすると、盗賊たちが道を塞いで、荷物をひとつ残らず奪われてしまったうえに、人の噂をきけばこれより東はところどころに新しい関所が出来ていて、旅人の行き来さえ許されないとのことでした。
これでは便りをする方法さえありません。
家もきっと戦火に焼かれてしまったであろう。妻ももう生きていないに違いない。
それなら故郷といえども鬼のような人ばかり住むようなところになっているだろうと、ここからまた京へと引き返し、近江の国に入ると、急に気分が悪くなって熱病にかかってしまいました。

武佐というところに、児玉嘉兵衛というお金持ちがいました。
この人は雀部の妻の実家だったので、そこを訪ねて懇願すると、嘉兵衛はこころよく引き受けて親切に介抱し、医者を呼んで薬も飲ませてくれました。
そのおかげで気分も少しさっぱりしてきたので、勝四郎は手厚い看病に感謝しました。
しかし未だ歩くときは足元がおぼつかないので、今年は思いがけなくこの地で春を迎えることになりました。
そうこうしているうちにこの地にも友人ができ、生まれつき素直で正直な性格を愛されて、児玉をはじめ誰とでも親しく交わるようになりました。
この後は京に出て雀部を訪ね、あるいは近江に帰って児玉のところに身を寄せ、そしてまたたく間に七年の歳月が過ぎていきました。

寛正二年には、畿内河内の国で畠山兄弟の家督をめぐる争いが絶えそうにもないので、京の近くも物騒となってきましたが、そのうえ春の頃から疫病がたいへん流行って、死体はあちこちに積み上がり、人々ももはやこの世の終わりであろうかと、世の無常をはかなみ悲しみました。
勝四郎もよくよく考えてみると、このように落ちぶれてこれといった仕事もない身が、なにを頼りにして遠い国に留まり、あかの他人の恩恵を受けて、いつまで生きながらえるべきであろうか。故郷に捨ててきた宮木の消息さえ知らないままで、こんな忘れ草の生えているような土地で長い年月を過ごしているのは、不実な自分の心からであった。たとえあの世の人となって以前のようにこの世に生きていないにしても、その消息をたずねて墓でも作ろうと、周囲にその意思を告げて、五月雨の晴れ間に別れを告げて、十日ほど経て故郷へ帰り着きました。

この時、日はやや西に沈んで、雨雲は今にも落ちてきそうなほどに暗いものでしたが、久しく住み慣れた里なのだから迷うこともないだろうと、夏野をかき分けて進んでいくと、万葉の昔から有名な継橋も川に落ちているので、昔の歌のように駒の足音もせず、田畑は荒れ放題に荒れて、もとの道も分からず、以前あった人家もありません。
たまたまここかしこに残る家に人が住んでいるとみえる場所もありましたが、昔とは似ても似つかない有様です。
どれが自分の住んでいた家だろうかと戸惑っていると、そこから二十歩ばかり歩いたところに、落雷に打たれた松がそびえ立っているのが、雲間の星のひかりでぼんやりと見えたのを、あれこそわが家の目印だ、やっと見つけたと、ひとまず嬉しい心地がして歩いていくと、家は昔と変わらずに建っており、人も住んでいるとみえて、古戸の隙間から灯火の影が漏れてきらきらと光っていました。
もしかして他人が住んでいるのか、それとも宮木がいるのかと胸が高鳴って、門の前に立って咳払いをして来訪を告げれば、すぐ中にも聞こえたらしく誰ですかと尋ねる声がしました。
その声はとても老けてはいましたが確かに妻の声であることを聞き知った勝四郎は、夢ではないかとしきりに胸騒ぎがして、
「わしだ、わしが帰ってきたんだよ。よく達者でこんな草深い浅茅の原にひとり住んでいようとは不思議だなあ」
と、その声が夫のものであると聞き知ったので、すぐに戸を開けて宮地が姿を現しました。
その姿はたいそう黒く垢にまみれ、目は落ちくぼんでいて、結い上げた髪も乱れ落ちて背にかかり、以前の美しい妻の面影はありません。
宮木は夫の姿を見て、声もあげずにたださめざめと泣きました。
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勝四郎も気が動転して、しばらくなにも物が言えませんでしたが、ややしばらくして、
「今までこうして無事でいると知っていたなら、どうして長い年月を他国で過ごそうか」とこれまでの経緯を語りました。
「もはやあなたは戦禍をうけて焼け死んだか、溺れ死んだに違いないと、ひたすらに思い込んで諦め、もう一度京へ上がってからは他人の世話になって、七年も過ごしてきました。けれども近頃しきりに故郷が懐かしくなって、せめてあなたの亡き跡を弔いたいと帰ってきたけれども、まさかこのようにこの世にいるとは本当に思わなかった。巫山の雲、漢宮の幻ではなかろうか」
とうわ言のように繰り返します。妻も涙をおさえて、
「あの時お別れ申し上げてから、夫の帰宅を頼みにしていた秋よりも前に恐ろしい世の中になって、里の人はみな家を捨てて海に漂い山に隠れてしまいました。たまたま残った人は、ほとんどが虎や狼のような貪婪な心を持っていて、わたしが一人暮らしをしているのを幸いだと思うのでしょうか、言葉巧みに誘惑するのですが、操を守って死すとも不義をして命ながらえる道はふむまい、と幾度となく辛苦を忍び耐えました。天の河が冴えて秋の訪れを知らせても、あなたはお帰りになりませんでした。冬を待ち、春を迎えても便りがありません。このうえは都に参ってお尋ね申し上げようかと思いましたが、大の男でさえ通さない関所の堅い守りを、どうして女に越える道がありましょうか。軒端の松を待つ甲斐もなく眺めながら、狐やふくろうを友にして今日まで過ごしてまいりました。しかしこうしてお目にかかれた今となっては長い恨みもすっかり晴れ晴れとした心地になったことを大変嬉しく思います。逢うのを待つ間に焦がれ死にしてしまったら、相手からもわたしの心中を知られずに本当に口惜しく情けないことでした」
と、またよよと泣きだすのを、夜は短いのだからまた明日のことにして、と慰めて、ともに枕につきました。

窓の障子の破れ目から松風がひたひたと音をたてて吹き込んで、夜通し涼しく寝心地がよかったので、長い旅の疲れもあってぐっすりと寝てしまいました。
暁の空が明けていく頃、まだ冷めやらぬ夢心地にもなんとなく寒かったので、夜着をかけようかとあたりを手探りすると、なんだかさらさらと音がするので目が覚めました。
顔に冷たくひやひやするものがこぼれ落ちてきて、雨が漏れているのかと思って見てみれば、屋根は風に吹き飛ばされてなくなっており、空に夜明けの月が残っているさまさえ見ることができました。
家には戸も残っていません。
床の敷板の崩れ落ちた隙間からは萩が高く生えていて、朝露がこぼれてくるので袖がびっしょりと濡れていました。
壁には葛の蔦がびっしりと張っていて、庭は葎に埋もれて、秋でもないのに秋の野のように草ぶかく荒れ果てた家の様子でした。

では、隣で寝ていたはずの妻はどこへ行ったのでしょうか、どこにも姿が見えません。
狐に化かされたのかとあたりを見回してみると、荒れ果ててはいるけれども昔住んだ家には違いなく、広く造ってあった奥の辺から、端の方、稲倉までかつて自分好みに造ったままの様子でした。
勝四郎は呆然としたまま足の踏みどころさえ忘れたようになっていましたが、よくよく考えてみると、妻は既に亡くなっていて、今は狐や狸の住処となってこんな荒れ果てた家になっているのだから、妖怪が化けて在りし日の妻の姿を見せたのではないだろうか。
あるいは、自分を慕う亡き妻の魂が、あの世から再びここへ帰ってきて語ったのだろうか。
これでは帰国する前に思い浮かべていたさまと何ら変わりないではないかと、あまりのことに、涙さえも出てきませんでした。
「我が身ひとつは故の身にして」と業平の歌を口にしながら家の中を歩いてみると、むかし寝室であったところの床板を取り外して、土を積み上げて塚をこしらえ、雨露をしのぐような備えがしてありました。
昨夜の霊はここから出てきたのだろうかと思うと、恐ろしくもありましたが同時にまた懐かしい心地がしました。
手向けの水を入れる桶が用意されていましたが、その中に、木の端を削ったようなものに那須野紙のたいそう古くなったものが貼り付けてありました。
文字はところどころ消えてはっきりとは読めませんでしたが、確かに妻の筆跡でした。
戒名も年月も書いておらず、ただ三十一字に妻の最期の心が哀れにも記されていました。

さりともと 思ふ心に はかられて
世にもけふまでいける命か
(もしかしたら、もしかしたら帰ってくるのではないかと思う心に騙されて、今日まで生きてきた命が惜しいことよ)

ここで勝四郎は初めて妻の死んだことを悟って、大声をあげて泣き崩れました。
それにしても何の年、何月何日に亡くなったのかさえ知らないとは、夫だというのになんと浅ましいことであろうか。
誰か知っている人はいないだろうかと、涙をぬぐって外へ出てみると、日は既に高く昇っていました。
まず近い家に行って住人を訪ねてみましたが、そこに住んでいたのは以前の知人ではなく、むしろ向こうからどの国の人なのですかと尋ねられました。
勝四郎はていねいに挨拶して言いました。
「この隣の家の住人だったが、仕事のために京に七年もいて、昨夜ようやく帰ってきたのだが、既に荒れ果てて人も住んでいなかった。妻ももう死んでしまったらしく、墓も作ってあったが、いつ死んだともその墓に記されていないので、いっそう悲しくなったのだ。もし知っていれば教えてほしい」
家の住人は言いました。
「それはお気の毒なお話でございますね。私がここに移り住んだのもまだ一年ばかり前のことですから、それよりずっと以前に亡くなられたとみえて、その人の生きていた頃は存じ上げません。この里に古くから住んでいる者たちはみな戦乱のさなかに逃げ失せてしまって、今住んでいる人はあらかた他所から移り住んできた人ばかりなのですよ。ただひとり、老人がいらっしゃいますが、その人はこの土地に古くからいた人だと思います。ときどきあの家に行って、亡くなられた方の冥福を祈っていらっしゃいましたから。その老人でしたらその月日を知っておられるのではないでしょうか」
勝四郎は言いました。
「では、その老人の住んでいらっしゃる家はどちらにあるのでしょうか」
住人は「ここから百歩ばかり浜辺の方に、麻をたくさん植えてある畑の主人で、そこに小さい庵を建てて住んでいらっしゃいますよ」と教えてくれました。
勝四郎は喜んでその家に行ってみれば、七十歳ほどの腰のひどく曲がった老人が、土間に造ったかまどの前に敷物を敷いてお茶を啜っていました。
老人は勝四郎を見るなり「お前さん、どうしてこんな遅くに帰ってきたのじゃ」と声をかけるので、見ると、それはこの里に古くからいる漆間の翁という人でした。

勝四郎は翁の長寿をお祝いしてから、自分が京に行って心ならずも長居してしまったことから、昨夜のあやしい出来事まで詳しく語り、翁が亡き妻のために塚を造って弔ってくれた恩に深く感謝しながら、あふれる涙をとめることができませんでした。
翁は言いました。
「お前さんが遠くに旅立たれてから後は、夏の頃から戦争が始まって、里の人々はあちこちに逃れ、若い者は兵士として駆り出されたから、桑畑も耕す者がいなくなってたちまち狐や兎の住む草むらとなってしまった。ただ貞烈なあのお方だけが、お前さんが秋に帰ると約束した時を信じ守って、家から出ようとされなかった。この年寄りも足がきかなくなって百歩も歩けなくなったから、家の中に立てこもって、外へは出なかった。はては樹神なんていう恐ろしい妖怪の棲むところとなってしまったのを、若い女の身で気丈にひとりそこに留まっているさまは、この年寄りが見聞きしたことのなかでも、しみじみと深く感動したものだよ。秋が去って春が来て、その年の八月十日という日に亡くなられた。不憫さのあまりに、この老いぼれが手ずから土を運んで柩を収め、その最期にお残しになった筆の跡を塚のしるしとして、心ばかりの供養をしたが、わしはもとから字の書き方も知らなかったから、その月日を記すこともできなんだ。寺も遠くいから戒名をつけてもらう方法もなくて、五年の月日を過ごしてきたのじゃ。今の話を聞くと、きっとあの方の亡霊があの世から帰っておいでになって、長い間のつもる恨みでもお話になったのでしょう。もう一度塚へ行って、ていねいにご回向しなさい」
翁は勝四郎とともに杖をついて先に立ち、塚の前に伏せて声を上げて泣きながら、その夜はそこに念仏を唱えて朝まで過ごしたのです。

寝られないまま、翁は勝四郎に語りきかせました。
「わしの祖父のそのまた祖父もまだ生まれぬはるか昔のことよ。この里に真間の手児女というとても美しい娘がいたのじゃ。家が貧しかったから身には麻の衣に野草で染めた青襟を付けて、髪はろくに櫛も入れず、靴さえ履かなかったけれど、顔は満月のように美しく輝いていて、笑えば花が咲き輝くかのようで、綾錦に身を包む都の貴婦人よりも美しいと、里の人はもとより、都の防人たちや、国の隣の人までも、言い寄って恋偲ばない者はいなかったのを、手児女はかえってつらく心苦しいことと思い沈んで、いっそ死ぬことによって多くの人の心に報いようと、入江の浦の波に身を投げたことを、世にも哀れな話として、昔の人々は和歌にも詠んで語り伝えたのを、わしが小さかった頃に母がおもしろく話してくださるのさえ、本当にかわいそうなことだと思って聞いていたのじゃが、ここで亡くなった宮木どのの心は、昔の手児女のうぶな心に比べても、どれほどまさって悲しかったことじゃろう」
そう話しながらも涙ぐんで、それを抑えることができないのは、老人というのは涙もろくてこらえ性がないからなのでしょう。
勝四郎の悲しみは言葉で言い表せないほどのものでした。
この物語を聞いて、思いあまった胸のうちを、田舎人の不器用な口ぶりで歌い上げました。

いにしへの 真間の手児奈をかくばかり
恋ひてしあらん真間のてごなを
(昔の真間の手児女に恋した男たちは、いま自分が妻に死なれて恋い慕っているように、切ない思いで手児女を恋い慕ったことだろう)

思うことのほんの少しも言い表すことのできないのは、かえってうまく歌を詠む人の心にもまさって、しみじみと感慨深いものだともいえるでしょう。
これは、下総の国にしばしば通う商人が、そう聞き伝えて語ったお話でした。

<<菊花の約 || 夢応の鯉魚>>


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