» 玉藻の草子「御伽草子」

古代の物語

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玉藻の草子「御伽草子」

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近衛院の御代のことである。

鳥羽院の御所に、一人の化女が姿を現した。
年の頃は二十歳ばかり、白粉をつけずとも白雪のように清らかな肌、朱を差さずとも赤く潤う唇……その容姿の艶やかで美しい様は、言葉にできない程である。
また、美しいだけでなく博識であった。柔らかに笑みを含んだ声で、内典外典、世法仏法など様々な教典を少しのよどみもなく諳んじることができる。一を訊ねれば十の答えが返ってくるのは本当に権者の化身かと思われた。

当然ながら鳥羽院の寵愛も厚く、片時も側から離さず『化生前(けしょうのまえ)』と呼び、女御のような待遇であった。
それを見た人々は『唐の玄宗の代ならば楊貴妃、漢の時代であれば李夫人にも勝るだろう』と、口々に言い合うのだった。

ある年、九月二十日あまりの頃に簫歌殿(しょうかでん)にて、秋の名残を惜しむ詩歌管弦の御会が催されていた。
風の強い日だった。宴もたけなわとなった頃、強風にあおられて灯籠の灯が消え、辺りは暗闇に包まれてしまった。
すると、不可思議なことが起こった。
鳥羽院の玉座近くに居た化生前の身体が青白く光り、辺りを眩く照らしたのである。
宴に参加していた人々は驚き怪しみ、管絃の手を止めて院に奏上したが、鳥羽院は
「なんと言うことだ。化生前の身体から放たれた光は後光の輝きのごとし、彼女はまさしく菩薩の化身に違いない」
と考え、これより化生前は『玉藻前(たまものまえ)』と呼ばれるようになった。

何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、この一件で鳥羽院は玉藻前のことを少し恐ろしく思い始めていたが、彼女の美しさの前ではそれも些事に思える。
結局、玉藻前と八千代の契りを誓いながら暮らしていたのだが、そのうちに院は病床に臥せる様になった。普段の風邪とは違う、日ごとに重さを増す症状を訝しんで典薬頭を召したのだが、
「この御悩は邪気が原因のようでございます。よって医の道では御平癒は難しいものと存じます」
との見立てである。すぐに陰陽寮に知らせが行き、陰陽頭である安倍泰成(あべのやすなり)の進言で奈良興福寺と比叡山延暦寺の高僧を招集し、調伏の祈祷を行うこととなった。
十七日間、僧たちは一心不乱に祈祷をしたが効果は得られなかった。いよいよ院の病は重さを増していき、ついに床から離れられなくなる程に重く患ってしまう。
玉藻前の手を取り、今生の別れを惜しむ院を前に、玉藻前は
「私のような下々の身分の者が御身のご寵愛を賜ることができるのも、ひとえに過去の戒行ゆえかと存じます。どうかそれを院に奉って、お命を長らえていただきたいと思います。万一のときは、私も片時も命を長らえるとは思えず、どこまでもお供を致します」
と、涙ながらに励ましの言葉を奉るのだった。

様々な祈祷はなおも続くが、どれも全く効果がない。しびれを切らした臣下が泰成を問いつめた所、
「非常に申し上げにくいのですが……院の御悩の原因は、玉藻前にございます。あの女を御殿から除けば、たちどころに御平癒なさるでしょう」
泰成の言葉に誰もが驚きを隠せなかった。玉藻前が院の側に居るときは容態が軽く、また彼女が居ないときは重くなるのである。まさかあの化女が病気の原因などとは、露ほども考えなかった。
驚いた臣下が子細を訊ねた所、このような話であった。
殺生石

下野国(しもつけのくに)、那須野(なすの)という所に、八百の年経た狐が住んでいる。
七尋もの大きな身体にいくつも分かれた尾を持つその狐、由来は仁王経の中に見える、天羅国の班足(はんそく)という太子を誑かした塚神の狐である。
漢土においては周の幽王の前に絶世の美女である褒姒(ほうじ)となって現れ、国を滅ぼした。そうやって仏法を信奉する国を滅ぼさんと今まさにこの国に現れて、院の命を奪い、朝廷を我が物にしようとしているのだ。
その狐とはすなわち、玉藻前のことに他ならない。

臣下たちはこれを院に奏上したのだが、一向に信じてもらえない。
そこで泰成は泰山府君の祭事を執り行うことにした。そして玉藻前を御幣取りに任じ、弊を持たせて、嫌がる彼女を壇上に引き出したところ、その姿はにわかに掻き消えてしまった。

その後、いかにして件の狐を討ち取ろうかと協議がなされ、弓の名手である三浦介(みうらのすけ)、上総介(かずさのすけ)の二人に妖狐討伐の命が下った。
両名は大勢の兵士を引き連れて下野国は那須野へと向かった。何とかして狐を狩ろうと右往左往するものの相手は妖術を自在に操る古狐、全く上手くいかない。すんでの所で取り逃がし、姿を見失ってしまう。
ただ闇雲に追いかけては同じ轍を踏むことになるだろうと、三浦介と上総介はひとまず兵を引き、犬を狐に見立てて追いつめる『犬追物』と呼ばれる訓練で研鑽を積んだ。
そして再び那須野へと赴き、再度妖狐に立ち向かった。激しい戦いは七日七晩もの間続いたのだった。

七日目の晩のことである。
勅命に添えるよう、神仏に祈りを捧げて眠りについた三浦介の夢の中に、齢二十歳ばかりの玲瓏な美女が現れた。
「私の願いはもはや叶わぬでしょう。どうか命ばかりはお助けください。そうすれば貴方の一族を、子々孫々までお護りすると誓います」
と、涙を流して懇願する姿を目にした三浦介は、かの妖狐が確実に弱っているのを確信した。
これに気力を得た兵たちはいつにも増して果敢に狐に立ち向かい、ついに射止めることに成功する。

狐の身体からは種々の宝物が出てきた。
腹からは黄金色に輝く壺が現れた。中には仏舎利が納められており、これは鳥羽院に献上された。
頭から現れた光輝く白玉は三浦介が給わり、己の家宝と定めた。
尾からは、二つの針が現れた。これは上総介が給わり、赤い針は氏寺の清澄寺へ納められ、白い針は伊豆の兵衛佐(ひょうえのすけ/兵衛府の次官)に奉ったという。

妖狐の死体は大きな石へと姿を変え、瘴気を吐き出して通りかかる動物や旅人を悩ませることとなった。
近づくと命を奪うことから『殺生石』と名付けられ、近隣の住民を恐怖に陥れた。
それから二百年程経ったころ、玄翁(げんのう)和尚という高僧が那須野を訪れ、鎚で殺生石を粉々に砕き割ったという。欠片は日本中に散らばっていった。

かくして大陸を渡り歩き多くの国を滅ぼした大妖狐、金毛白面九尾の狐は討ち取られたのであった。


「物語のタイトル」登場人物

<鳥羽院(とばいん)>
第74代天皇。上皇として院政を行い、絶大な権力を誇った。
<玉藻前(たまものまえ)>
鳥羽院の御所に現れた絶世の美女。容姿端麗、頭脳明晰な彼女の正体とは……。
<安倍泰成(あべのやすなり)>
陰陽頭。安倍晴明の子孫。
<三浦介(みうらのすけ)>
妖狐討伐の勅命を受けた弓の名手。
<上総介(かずさのすけ)>
三浦介と同じく弓の名手。
<玄翁和尚(げんのうおしょう)>
徳の高い僧侶。金槌の別名『ゲンノウ』の由来となった人物。

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