» 百済川成と飛騨の工と挑みし語「今昔物語集」

古代の物語

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百済川成と飛騨の工と挑みし語「今昔物語集」

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百済川成と飛騨の工と挑みし語

今となっては昔の事だが、百済の川成という絵師がいた。世に並ぶ者がいないほどの名人だったそうだ。滝殿の石もこの川成が置いた物で、同じ御堂の壁の絵も、この川成が描いた物だそうだ。

ある時、川成は従者の子供に逃げられた。
あちこちを探したが見つからなかったので、ある上級貴族に仕える召使を雇って「私に長年仕えていた従者の子供が逃げてしまった。これを探して捕えてくれ」と頼んだ。
召使は「たやすい事ではありますが、それは子供の顔を知っているから捕えられるのです。顔を知らないままでどうして捕まえられましょうか」と答えた。
川成は「なるほど、それもそうだ」と言って懐紙を取り出して、子供の顔を描くと、召使に渡して「これに似た子供を捕まえてきてくれ。東西の市は人が集る所だ。その辺りに行って探すのが良いだろう」と言った。

召使はその似顔絵を持ってすぐに市に行った。人は非常に多かったが、似顔絵に似た子供はいない。
しばらくその場にいて、「もしかしたらいないのだろうか」と考えていると、似顔絵に似た子供が現れた。
似顔絵を取り出して比べてみると、全く絵と違う所はない。
「この人だ」と捕まえて川成の元へ連れて行った。川成はこれを見ると、探していた子供だったのでとても喜んだ。
当時、これを聞いた人々は、大したものだ、と感心したそうだ。

さて、ちょうどその頃、飛騨の工という大工がいた。平安遷都の時腕を振るった職人で、他に並ぶ者がいないほどの名人だった。豊楽院はこの職人が建てた物なのだから、このように素晴らしいのであろう。

ある時、この大工と川成とで互いの技を競っていたそうだ。
飛騨の工は川成に「私の家に各面が一間の堂を建てました。おいでになってご覧ください。また、壁に絵などを描いていただきたいと思っております」と言う。
互いに競い合いながらも仲が良く、冗談を言うような関係だったので、「だから誘ったのだろう」と思い、川成は飛騨の工の家へと訪ねた。
行ってみると、実に趣がある小さな堂があり、四面の戸は全て開いていた。
飛騨の工が「この堂に入って、中をご覧ください」と言うので、川成は縁側に上がり、南の戸から入ろうとするも、その戸はばたんと閉じた。
驚いて縁側を回って西の戸から入ろうとする。するとその戸はばたんと閉じる。同時に南の戸が開く。
そこで北の戸から入ろうとすればその戸は閉じて、西の戸が開く。
また東の戸から入ろうとすると、その戸は閉じて、北の戸が開いた。
こうしてぐるぐる回って何度も入ろうとしても、戸は閉じたり開いたりして入る事ができない。そのため、困って縁側から下りてしまった。
その様子に、飛騨の工はずっと腹の底から笑っていた。川成は「憎らしい」と思いながら帰っていった。

その後、数日経って、川成は飛騨の工の家に使いを出して、「私の家においでください。お見せしたい物があります」と誘う。
飛騨の工は「きっと私をだますつもりなのだろう」と思って行かずにいると、何度も熱心に招くので、工は川成の家に行き、案内を頼んだ。
すると「こちらへお入りください」と人を介して案内された。
それに従って廊下の所にある引き戸を開けると、大きな人間の死体が黒ずみ腐敗して、膨れ上がった状態で横たわっている。その死臭が鼻を刺すようだ。
思いがけずそのような物を見たので、悲鳴を上げて恐ろしさに飛び出した。川成は中にいて、その声を聞いて腹を抱えて笑う。
飛騨の工は「恐ろしい」と思い庭で立ちすくんでいると、川成はその引き戸から顔を出して「やあ、こんな所にいたのですか。構わずお入りなさい」と言う。そこで恐る恐る近寄ってみると、衝立になんと、その死人の絵が描いてあるのであった。
堂でだまされたのが悔しくて、こんな事をしたのであった。

二人の腕前はこのようであった。その当時は、いたる所でこの話が噂され、皆この二人を褒めたてたと、語り伝えているという事だ。


「百済川成と飛騨の工と挑みし語」登場人物

<百済の川成>
平安時代の貴族であり画家。絵のほかにも庭園の増援なども手がけていた。

<飛騨の工>
平安時代の大工。百済の川成と同じく高い技術を持つ名人。

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