» 神武東征 -五瀬命-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

神武東征 -五瀬命-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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吉備高島宮をご出発されて槁根津日子(サオネツヒコ)の案内で海路をお進みになる神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコ)一行は難波の渡りをぬけて、青雲白肩の津(※1)に停泊なさいました。
この時大和国の登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)という豪族が軍勢を集めて、神倭伊波礼琵古命一行を待ちぶせして戦を仕掛けて来ました。

そこで御船に備えていた楯を取り出して、御船から降り立たれました。その地はこのことから楯津と名付けられ今日では日下の蓼津(※2)と申します。
登美能那賀須泥毘古と交戦された時に、登美能那賀須泥毘古が射放った矢が五瀬命(イツセ)に御手に当たり深手を負われてしまいました。
古事記より神武東征

「我は、日の神の子孫として、日に向かって戦うことは不吉でなことであった。だから、卑しき者から深手を被ったのだろう。これからは向きを進路を変えて遠回りをし、日をせにして登美能那賀須泥毘古を撃とうではないか」五瀬命がそう誓うと一行は南の方向に周り血沼海(※3)に立ち寄り深手を負われた御手を清められました。そこの事からこの地を地沼海と呼ばれるようになったのでした。

それからさらに南へ南へと目指され、紀伊国の男の港に到着された時の事でございました。「卑しき奴から受けた傷で我は死ぬというのか!」と仰せになり憤怒の中で五瀬命はご無念最後を向かえられました。
そのような事がありこの港のことを男水門(おのみなと)となりました。五瀬命は紀伊国の龜山に御陵を構え葬られました。

(※1)現在の大阪府枚方市付近異説あり(※2)大阪府堺市西区草部(※3)大阪府和泉市の湖

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