» 神武東征 -皇后の選定-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

神武東征 -皇后の選定-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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さて、神武天皇が日向(ひむか)にいらっしゃったときに、二人の妃がいらっしゃいました。
一人は阿多の小椅君(おばしのきみ)の妹で、名前は阿比良比売といい、生んだ子は多芸志美々命(たぎしみみのみこと)といいます。次は岐須美々命(きすみみのみこと)といいました。

しかし、さらに皇后にするための乙女を探したときに、大久米命(おおくめのみこと)が言いました。
「このあたりに一人の乙女がいます。この方は、神の御子といわれています。彼女が神の御子といわれる理由は、三島の湟昨(みぞくい)の娘、名は勢夜陀多良比売が、その容貌が美しかったために、美和の大物主神が一目惚れをしたのです。そしてその娘が大便をしようとしたときに、赤く塗った矢に姿を変えて、その大便をしようとした溝を流れ下って、その乙女の陰部を突き刺しました。するとその乙女は驚いて、走り回ってうろたえました。そして、その矢を持ってきて床のそばに置いたところ、矢はたちまち立派な男の姿になったのです。そのままその乙女を娶って生んだ子の名前は富登多々良伊須々岐比売命(ほとたたらいすすきのみこと)といい、またの名を比売多々良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)といいます。これは、そのホトという言葉を嫌って、後で改めた名前なのです。こういうわけで、彼女は神の御子なのでございます」
古事記より神武東征

さて、七人の乙女が高佐士野(たかさじの)に遊びに出かけたとき、伊須気余理比売がその中にいました。そこで、大久米命はその伊須気余理比売を見て、歌をもって天皇に申し上げました。

倭の高佐士野をゆく七人の乙女たち、その中のだれを妻としましょうか。

そのとき、伊須気余理比売は、その乙女たちの先頭に立っていました。そこで天皇は、その乙女たちを見て、その心の中で伊須気余理比売がいちばん前に立っているのを知って、歌をもって答えました。

とりあえず、真っ先に立っている年上の乙女を妻としようかな。

そこで、大久米命はが天皇の仰せを伊須気余理比売に伝えたときに、その大久米命の刺青をした鋭い目を見て、不思議に思って歌いました。

黄鶺鴒や千鳥や綺麗な鵐のように、どうして目に刺青をしているの?

そこで、大久米命がそれに答えて歌いました。

乙女に直接逢おうとして、私の目は見開いているのです。

すると、その乙女は「お仕えいたしましょう」と申し上げました。

さて、その伊須気余理比売の言えは、狭井河のほとりにあります。天皇はその伊須気余理比売のところにいらっしゃって、一晩そこでおやすみになりました。
その川を狭葦河という理由は、その河のほとりに山百合がたくさんあり、その山百合の名前をとって狭葦河と名付けたとのことです。山百合のもとの名前は、サイというのです。
その後に、その伊須気余理比売が宮中に参内したときに、天皇の御歌にこう歌われました。

葦原の汚い小屋にすげの畳を清々しく敷いて、私たち二人は寝たことよ。

そうして、お生まれになった御子の名前は、日子八井命(ひこやゐのみこと)。次に、神八井耳命(やゐみみのみこと)。次に、神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)というのでございます。

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