» 神武東征 -布都御魂と八咫烏-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

神武東征 -布都御魂と八咫烏-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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さて、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)が熊野の村に着いたとき、大きな熊がちらりと見え隠れして、そのまま姿を消しました。
すると、カムヤマイワレビコは急に毒気にあてられて、意識を失ってしまいました。そして、その軍勢もみな正気を失って、倒れてしまいました。

そのときに、熊野の高倉下(たかくらじ)という人が、ひと振りの太刀を持って、天つ神である御子の横たわっているところへやってきました。
そしてその太刀を献上したところ、天つ神の御子はたちまち目を覚まして起き上がりました。
「長いこと寝てしまったなあ」
御子はそうおっしゃって、その太刀を受け取ります。
すると、その熊野の山の荒ぶる神は、ひとりでにすべてが斬り倒されてしまいました。
そして、意識が混乱して倒れていたその軍勢も、みな正気に戻って起き上がりました。

天つ神の御子は、高倉下にその太刀を手に入れた事情を問いました。
そこで高倉下は答えました。

「私は、こんな夢を見たのです」

「天照大神と高木神は、建御雷神(タケミカヅチ)をお呼び寄せになって、こうおっしゃいました。
『葦原中国はひどく騒がしいようで、わが御子たちは悩んでおられるらしいのだ。その葦原中国は、あなたが平定した国でしょう。
だから、あなたが降って行ってあげなさい』
建御雷神はそれに答えて言いました。
『私が直接降らなくとも、その国を平定した太刀があります。この太刀を降ろすのがよいでありましょう。
その方法として、高倉下のところの倉の頂に穴をあけて、そこに落とし入れるのです』」

「そして、建御雷神は私に向かっておっしゃいました。
『では、お前がその太刀をよく探して、天つ神である御子に献上するのだ』

こうして、朝になって自分の倉を見てみますと、このとおりに太刀がありました。
それで、この太刀を献上するのです」

この太刀の名は、佐士布都神(サジフツノカミ)、または甕布都神(ミカフツノカミ)、布都御魂(フツノミタマ)といいます。
この太刀は、石上神宮に鎮座しています。

高木大神は、天つ神の御子に教え申し上げました。

「天つ神である御子よ、これからあなたはここから奥に、すぐに入って行かれてはなりません。荒ぶる神が、とてもたくさんいるのです。
今、天からあなたのもとへ八咫烏(ヤアタカラス)を遣わします。そうすれば、その八咫烏があなたを導いてくれるはずです。
その飛び立つあとに、ついておいでになるとよいでしょう」

そこで、天つ神の御子は、その教えさとしの通りに、その八咫烏の後についていらっしゃいました。
古事記より神武東征
すると、吉野川の下流に着いた時に、筌(うえ)という仕掛けを作って魚を捕っている人がいました。
そこで御子は尋ねました。
「お前は、誰か」
「私は国つ神で、名を贄持之子(ニエモツノコ)といいます」
この人は、阿陀の鵜養の祖先でありました。

その地からさらに進んでいらっしゃると、尾の生えた人が、井戸の中から出てきました。その井戸は光っています。
そこで御子は尋ねました。
「お前は、誰か」
「私は国つ神で、名を井氷鹿(イヒカ)といいます」
この人は、吉野首(よしののおびと)らの祖先でありました。

そこからその山に入ると、また尾の生えた人に出会いました。その人は、岩を押し分けて出てきました。
そこで御子は尋ねました。
「お前は、誰か」
「私は国つ神で、名を石押分之子(イワオシワクノコ)といいます。
今、天つ神である御子がいらっしゃったと聞いたので、お迎えに参ったのです」
その人はそう申し上げました。
この人は、吉野の国巣の祖先でありました。

その地から道のない山の中を、道を踏み穿ちつつ通り抜け、宇陀へと越えて出て行かれました。
それで、その地を宇陀の穿(うがち)というのです

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