» 神武東征 -当芸志美々命の反逆-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

古事記

古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

神武東征 -当芸志美々命の反逆-「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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さて、神武天皇が崩御なさいました。
神武天皇が日向にいた時に阿比良比売(アヒラヒメ)との間にもうけた長男の多芸志美美命(タギシミミノミコト)は、
神武天皇の后である伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を妻にしました。

多芸志美美命は、異母兄弟である三人の弟達を殺そうと企んでいました。
伊須気余理比売は心を痛め、このことを歌で息子達に知らせました。

 狭井川よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
(狭井川の方から雲が立ち広がってきて、畝傍山では木の葉が鳴り騒いでいます。大嵐が吹き出そうとしています)

 畝火山 昼は雲といゐ 夕されば 風吹かむとそ 木の葉さやげる
(畝傍山では、昼間は雲が揺れ動き、夕方になると大嵐の吹く前触れとして、木の葉がざわめいている)

御子はこの歌を聞いて陰謀を知って驚き、ただちに多芸志美美を討とうとしました。
その時、神沼河耳(カムヌナカハミミ)命は、兄の神八井耳(カムヤヰミミ)命に言いました。
古事記より神武東征

「兄上が武器を持って多芸志美美を殺してください」

神八井耳命は、武器を持って殺そうとしましたが、手足が震えて殺すことができませんでした。
そこで神沼河耳命は、兄の持っている武器を貰い受けて、多芸志美美を殺しました。
その出来事を称え、弟は建沼河耳(タケヌナカハミミ)命と名前を変えました。

「私は敵を殺すことができなかった。だがあなたは違う。
 だから、私は兄であっても上に立つべきではない。あなたが天皇になって天下を治めなさい。
 私はあなたを助け、祭事を司るものとして仕えよう」

神八井耳はこう申し、皇位を弟に譲りました。

日子八井(ヒコヤヰ)命は、茨田連(マムタノムラジ)・手島連(テシマノムラジ)の祖先です。
また神八井耳(カムヤヰミミ)命は、意富臣(オホノオミ)・小子部連(チイサコベノムラジ)・坂合部連(サカイベノムラジ)・火君(ヒノキミ)・大分君(オオキタノキミ)・阿蘇君(アソノキミ)・筑紫の三家連(ミヤケノムラジ)・雀部臣(サザキベノオミ)・雀部造(サザキベノミヤツコ)・小長谷造(オハツセノミヤツコ)・都祁直(ツケノアタイ)・伊余国造(イヨノクニノミヤツコ)・科野国造(シナノノクニノミヤツコ)・道奥の石城国造(ミチノクノイワキノクニノミヤツコ)・常道の仲国造(ヒタチノナカノクニノミヤツコ)・長狭国造(ナガサノクニノミヤツコ)・伊勢の船木直(イセノフナキノアタイ)・尾張の丹羽臣(オワリノニワノオミ)・島田臣(シマダノオミ)等の祖先です。

神沼河耳命は、綏靖(スイゼイ)天皇として天下を治めました。
神倭伊波礼琵古(カムヤマトイハレビコ)天皇(神武天皇)の享年は、百三十七歳。
御陵は畝傍山の北の方の白檮尾(カシノオ)のあたりにあります。

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