» 稲生物怪録

近代の物語

近代の物語

江戸時代から明治時代のお話。
文明が発達してもところどころに
残る不思議なお話や民話を多く
ご紹介してます

稲生物怪録

  • 登場人物
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
5/5 (1)

今より遠く昔、寛延2年(西暦1749年)のこと。備後三次藩(現在の広島県三次市)に、稲生武大夫(いのうぶだゆう)という武士がいた。この頃はまだ幼名を名乗っており、名を平太郎という。
父母は既に他界しており、幼い弟の面倒を見ながらわずかな家来と共に暮らしていた。

薫風香る5月のこと、平太郎はふとした切っ掛けで、近所に住む相撲取りの権八と言い争いになった。
そこで三次藩士の軟弱ぶりをなじられた平太郎は、売り言葉に買い言葉で肝試しを行うことになり、権八と共に真夜中の比熊山に登っていった。
「山頂に着いたが、これだけじゃあつまらないな。せっかくだから、この場で百物語でもしようじゃないか。噂じゃあ百物語をすれば、必ず妖怪が出るというじゃないか」
「おう、いいとも。どちらから話す?」
二人は山頂でひとつひとつ、怪談を話し合った。しかし、百の怪談を話し終え、しばらく待ってみても何の変化もなく、妖の出る気配は少しも感じられない。
「ちぇ、なんだ。やっぱり噂は噂だったのか」
なんとも拍子抜けの展開に、二人は口々にぼやきながら山を下り、その日はお開きになった。
翌朝目を覚ましても、平太郎の身体には何の異変もなく、権八の身にも何か災厄が訪れた様子はなさそうだった。
そうして日が経つうちに、平太郎は肝試しに百物語をしたことをすっかり忘れてしまったのであった。

7月に入った日のことである。
夜、平太郎が自室にいると、にわかに障子が光りだした。不審に思い開けようと手をかけたが、びくともしない。
諦めて縁側に出ると、突然庭の方から毛むくじゃらの巨大な腕が伸びてきて、平太郎の身体を鷲掴みにした。見れば、塀の上に大きな一つ目を爛々と輝かせた大男の顔が覗いており、平太郎を掴む腕はその男のものだった。
なんとか腕の中から逃げ出した平太郎は急ぎ部屋へ戻り、己の刀を掴むと縁側へ戻った。
男が縁の下へ這いずり込むのを見た平太郎は床に刀を突き立てたが、逃げられてしまった。

翌日、権八のところへ言ってみると、彼も昨夜、怪異に遭遇したと言う。
妖怪を退治しようと言い合う二人だったが、その時、行灯の灯が天井まで燃え上がった。
突然のことに慌てふためく権八だったが、平太郎は気にも留めない様子で、そのまま寝てしまった。
その夜、床に就いた平太郎だったが、にわかに布団から水がわき出し一面に広がった。耳へ入りそうだったので起き上がったが、しばらく見ていると水は何事もなかったかのように引いていった。

それからというもの、平太郎の周りには昼夜問わず、様々な怪異がおこるようになったのである。

3日目。居間の隅の小穴から女の逆さ生首が飛び出し、平太郎の膝や頭を舐め回した。夜は天井から無数の青びょうたんが降ってきた。

4日目。茶釜の蓋が凍って開かず、棚の紙が一枚ずつ舞い上がり、蝶のように部屋を飛び回った。

5日目。足の生えた大きな石が寄ってきた。翌日、台所に近隣の家の漬物石が転がっていた。

6日目。薪小屋の出入り口を巨大な老婆の顔が塞いだ。

7日目。友人が連れ立って平太郎の応援に来たが、大入道に槍を奪われ、皆逃げ帰ってしまった。

8日目。塩俵が頭上を飛び回り塩をまき散らした。

9日目。知り合いに化けた妖怪がやってきて、平太郎の前で切腹した。

10日目。別の知り合いに化けた妖怪がやってきた。話をしていると頭がふくれて赤ん坊がはい出し、それが大きな童子となってつかみかかってきた。

11日目。親戚が訪れたが刀の鞘を隠されてしまい、家中探しまわった。客人が帰ったあと台所で音がするので見てみると、すり鉢とすり粉木がひとりでに仕事をしていた。

12日目。知り合いの女がやってきたが、タライが転がってきて女を追い返してしまった。夜、布団に入ると、部屋に貼った札が全て塗りつぶされているのに気づいた。同時に押し入れの中から大きなヒキガエルが飛び出し這い回った。

13日目。平五郎という男のすすめで薬師の札を貰い受けに寺へ向かうが、道すがら赤く光る石が飛んできて平五郎の腰を打ち据えた。平太郎は平五郎を担いで家に戻った。

14日目。夜中に目が覚めて天井を見ると、一面に大きな老婆の顔が現れ、長い舌をのばして平太郎を舐め回した。

15日目。居間にかけた額から音がするので外してみると、以前失くした刀の鞘が煤にまみれて落ちてきた。夜になると居間中が糊を掃いたようにベタベタした。

16日目。串刺しの生首が11、2ほど枕元を跳ね回った。

17日目。台所に白い人影を見たので行ってみたが何もおらず、部屋に戻ると刀や家具が蚊帳の上に置かれていた。

18日目。奥の間の畳が天井に括り付けられていた。夜は錫杖がジャラジャラと大きな音をさせて飛び回った。

19日目。名人に罠をこしらえてもらうが妖怪はかからず、罠は屋根の上に投げられていた。

20日目。知り合いの使いだと言う美女がやってくるが、帰りを見送ると門を出たところで消えてしまった。

21日目。夜、行灯に照らされて人影が浮かび上がった。

22日目。朝目覚めると、箒がひとりでに居間を掃除していた。夜は台所から大勢の人の声が聞こえた。

23日目。権八の家が騒がしいので様子を見に行ったが、彼は留守だった。夜になると家の天井が見たこともない程大きな蜂の巣になった。

24日目。大きな蝶が飛び込んだと思ったら四散し、数千の小さな蝶に姿を変えて飛び回った。夜、行灯に灯をともすと大火になり、行灯は石塔になったが、見ているうちにもとに戻った。

25日目。裏庭に出ようと縁側をおりたら、横たわる妖怪を踏んでしまい、肉がネバネバとこびりついて気持ち悪かった。

26日目。何処からともなく女の生首が飛んできて枕元を跳ね回った。

27日目。昼だというのに居間の中が夜のように暗闇になった。かと思えば眩しい程に明るくなり、夜になると拍子木の音や女の笑い声が聞こえてきた。

28日目。尺八の音がしたかと思えば沢山の虚無僧が上がり込んできた。

29日目。7月もじきに終わるが、怪異は止む気配がない。今日はどんなことが起こるやらと思っていると、気味の悪い風が吹き込んできて、星の瞬きに似た輝きが見えた。それは粉々になり、風に乗って部屋中に散らばった。

そして、怪異が続いて30日目の夜のことである……。

五ツどき頃(午後8時)のこと、歳の頃40ほどの身なりの良い武士が表から入ってきた。
男のただ者ではない立ち居振る舞いに平太郎は、さてはこいつが妖怪の頭領だなと当たりをつけた。
刀を抜き斬りつけるも、男は飛んで消えてしまった。そして天井から、
「どうか刀をおさめていただきたい」
と声がする。なおも刀を手にしていると部屋のコタツの蓋が開き、天井まで灰が吹き上がった。
灰は見る見るうちに固まり、一つの大きな頭になった。頭はブクブクと膨らんでいき、ついに穴が開いて煙を噴き出すと、その煙と共に沢山のミミズが這い出してきた。
平太郎はかねてよりミミズが大の苦手なので慌てて払いのけたが、身体にネバネバと貼り付くのですっかり閉口してしまった。
すると今度は壁に大きな目と口が現れ、ケタケタと笑う。これも妖怪の仕業だと念じたとたん、ミミズはすっかり消え失せた。が、目の前の顔は消えず、青く光る目で平太郎を睨みつけていた。

しばらくにらみ合いを続け、ようやく顔が消えると、先ほどの武士が姿を現した。
「拙者は山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)と申す魔王にて候。三国の人々をたぶらかし、その数が百になれば魔国の頭となれるので、これまでに85人をたぶらかしてきた。しかし、86人目のそなたに我が妖術はことごとく敗れ申した。そなた程の勇者はまこと、何処を探しても滅多におるものではない」
そう言うと、山本五郎左衛門と名乗った物怪の頭領は、懐より木槌を取り出し、平太郎に差し出した。
稲生物怪録
「拙者と同じ魔王の仲間に、真野悪五郎(しんのあくごろう)と申す者がおるが、其奴は頭の座をめぐって拙者と張り合っており申す。いずれ悪五郎もそなたのところへやってくるやもしれぬ。その時は迷わず、この槌を北に向かって打ちたまえ。拙者が助太刀いたすゆえ」
この武士が話している最中、平太郎はそばに冠装束を着た人が薄らと座しているのを見た。
しきりに五郎左衛門を見ており、この人は平太郎を守る氏神だろうと直感した。
平太郎が木槌を受け取ると、
「さて、拙者はそろそろお暇いたす。そなたを悩ませるのも今宵限り。また一からやり直しじゃ」
そう言って庭に出て行った。
平太郎は縁側へ、五郎左衛門を見送りに出た。すると庭にはこれまで遭ってきた妖たちで溢れていた。彼らは平太郎の姿に気がつくと一斉に礼をする。
と、平太郎は急に頭が重くなった。これも五郎左衛門の仕業かと思うと今更ながら腹立たしくなり、咄嗟に腰の太刀を抜こうとしたが、五郎左衛門はそれよりも早く駕籠へ乗り込んでしまった。
そのとき、針金のような剛毛を生やした大きな足が駕籠から飛び出しているのを平太郎は見た。
そんな小さな駕籠にどうやって入っているのかと思う程大きな足であった。なんとも奇妙な光景である。
妖怪たちはその駕籠をひょいと担ぎ上げると、庭の垣根を越えて、隣家の屋根を伝って、あっという間に雲の彼方へと消え去ってしまった。

そして、30日の間昼夜問わず絶えることなく平太郎の前に姿を現した物怪は、この時を境にすっかりと、一切合切消え去ったのだった。
平太郎はひと月の間、一度もたぶらかされることなく、全ての事柄を見届けたのである。
このような豪傑は、まことこの世の中に二人といないことであろう。


お話の評価

ページトップ