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日本神話

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蘇民将来(茅の輪くぐり)「備後国風土記」

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備後の国の風土記には、このような話が記されている。

疫隈(えのくま)の国つ社(現 福山市東深津町の王子神社)の由来は、このようなものである。
昔、北の湖にいらっしゃった武塔神という神が、南の海の神の娘に妻問いに通って行ったのだが、道すがら日が暮れてしまった。

そこには蘇民将来という兄弟がおり、兄はとても貧しく、反対に弟は裕福であった。
弟の土地には家と倉が合わせて百もあるほどで、武塔神は弟の将来の家に行き、一夜の宿を請うた。

しかし、弟は武塔神の姿を見るなり嫌な顔をした。質素な旅装束に身を包む武塔神を蔑み、己の土地を貸し惜しみして武塔神を家に入れなかった。
それを見ていた兄は武塔神を家に招き、貧しいながらも粟の茎を編んで円座をつくり、粟飯を炊いて真心を込めて精一杯のもてなしをした。
そうして翌朝、武塔神は南の海に向けて無事に旅立って行った。

それから数年後のことである。
兄の蘇民将来のもとに武塔神が、南の海の娘との間に生まれた八柱の御子を伴って訪れた。
武塔神の言うことには、
「あの時は大層世話になった。私は、兄の蘇民将来のために礼がしたい。お前の子孫はこの家にいるのか」
「私には妻と、それから娘が一人おります」
兄の蘇民将来が答えて申し上げると、武塔神は
「ならば茅草で輪を作り、その茅の輪を家族の腰に着けさせよ」
茅の輪くぐり(蘇民将来)「備後国風土記」
こう言い残し、立ち去って行った。
武塔神の言葉通りに、茅の輪を作って娘の腰に着けさせたところ、その晩に疫病が発生した。
疫病は、茅の輪を着けていた蘇民将来の娘一人を除いて、人々をことごとく殺し滅ぼしてしまった。

生き残った娘のもとに武塔神が現れ、こう言った。
「私は、武塔神と名乗っているが本性は速須佐雄の神である。後の世に疫病が発生したならば、お前の一族は『蘇民将来の子孫だ』と言って、茅の輪を腰に着けるように。そうすればこれから先も、疫病の難を逃れることができるであろう」


「蘇民将来(茅の輪くぐり)「備後国風土記」」登場人物

<蘇民>
貧しいが心のやさしい将来の兄。

<将来>
蘇民の弟で裕福。

<武塔神>
質素な旅装束を着ているが格式の高い神様。

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