» 蛇性の淫(2/8)「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

蛇性の淫(2/8)「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

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「県の真女児の家はどこだろうか?」

 尋ねて回っても、彼女の家を知る人はまるでおりません。

 昼過ぎまで探し続けていると、あるとき彼女の共である少女のまろやが東のほうから歩いてやってきました。
 豊雄は大喜びで、まろやに声をかけました。

「お嬢さんのお屋敷はどこでしょうか? 傘をいただこうと思い、訪ねてきたのですが……」

 すると少女は微笑んで、「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」と、先に立って歩いて行きました。
 豊雄は少女に案内されていくうちにとある屋敷へとたどり着きます。
 ここです、と少女の言う屋敷を豊雄は見ました。

 門構えは高く作られ、家は大変豪壮でした。蔀をおろし、簾をかけたその屋敷は… 豊雄が夢で見た屋敷と全く違わないのです。

 豊雄は不思議に思いながら門を入っていきました。
 少女が走って家の中へ入っては「真女児ー!」と彼女を呼びに行きました。

「傘を貸してくださったお方がおいでになられたのでお連れいたしました!」
「どこにおられますか? こちらへお迎えなさい」

 と、言いながら現れたのが真女児でした。

「この里におられる安倍の大人(うし)先生は、私が長年学問を教わっている先生なのです。
先生のところに参りましたついでに、傘をいただいて帰ろうと思い参りました。
お住まいがわかりましたので、また改めて…」

 豊雄はそう断って帰ろうとしましたが、真女児は彼を押しとどめます。そしてまろやにも「決してお帰ししないで」と告げ、少女もまた豊雄の前に立ちふさがるのです。

「傘を無理にお貸しくださったではありませんか。…のお礼に、無理にもお引き止めいたします」

 それから、真女児たちは豊雄を表座敷へと案内しました。

 玄関に近く、主に客間として使われるこの表座敷もまた立派な造りで、調度品はどれも古風な良いしろものばかりです。
 几帳(きちょう)、厨子(ずし)の飾り、壁の絵のある帳…… 到底、ふつうの人が住むような家とは思えませんでした。

 真女児とまろやは揃いの高杯・平杯といった食器類に海や山の様々な品にお酒を用意して豊雄をもてなします。

 すっかりと豊雄も真女児もほろよいになったとき、真女児は咲き誇る桜の花が水面に写ったかのような美しい顔で、春風のようにやわらかなほほ笑みを浮かべ、
まるで梢の間をくぐりながら鳴くうぐいすのごとき澄んだ声でこう語ったのです。

「私は元々京都で生まれました。
父と母とは早くに死に別れてしまい、乳母に育てられて成長しました。
そしてこの国の国司の下役である県の某の妻となり、もう三年が過ぎます。
夫の任期も終わらない今年の春… あの人はふとした病でなくなり、私はよるべなき身となりました。
どうぞこの身のわびしさを哀れと思ってくださいませ。
昨日の雨宿りのご親切でなんと誠実なお方かと思いましたので、これからあとの生涯をあなた様にお仕え致したくおもいます。
けがらわしいとお見捨てにならず、この盃をもって、末永い夫婦の契を固めましょう」

 豊雄はもともと真女児とそうなれればと思っていましたので、この申し出に気が狂いそうなほど喜びました。
 しかし、自分は親と兄の世話になる身であることに思い当たり、家族の許しを得なければならないためにすぐに答えることができませんでした。
 すぐに答えることができない豊雄をみて、真女児は悲しく思い、こう告げました。

「浅はかな女心からバカなことを申し上げ、取り返しがつかず恥ずかしいばかりです。
このように頼る人もなく、人から嫌われ、海に身を投げて死にもせず、あなたのお心を惑わせた罪は深くございます。
今私がが申し上げましたことには嘘偽りはございません。
……ですが、酒に酔った上での戯言だとお考え下さい。
ここの海の水に流して、お忘れくださいますように…………」

 と、いうのです。この言葉で豊雄の心は決まりました。

「あなたを一目見た時から、高貴なお方とは思っておりましたが、誤りではなかったのですね。
鯨が寄るようなこの辺鄙な場所でそだった私が、あなたのようなお方にこんな嬉しいお言葉を受けるなどと… 一体、いつの世で聞くことが出来るでしょうか。
私がお答えできないのは、私が親や兄の世話になっている身で、己のものといえばこの体しかないからでございます。
何も結納としてあなたにお迎えすればよいのでしょう?
この身の不甲斐なさを恥じ入るばかりです。
何事にも耐え忍んで下さるとおっしゃられるのであれば、ぜひともあなたを我が妻として面倒をみましょう。
孔子でさえも恋にはつまずく、という言葉もあるのです。
私もあなたへの恋で、親に対する孝行も、この身のちからのなさをも忘れてしまっておりました」

 真女児は豊雄のこの言葉に大変喜びました。

「あぁ、なんと… 大変嬉しいお言葉にございまする。そのお気持ちをお聞きした上は、この刀を常に腰に差し、むさくるしいこの屋敷へ時々おいでくださいませ。」

 そして豊雄へ、前の夫が二つと無い宝として大切にしていたという太刀を送ったのです。
 その太刀というのは、金や銀で飾り立てられており、いっそ怪しいほどまでに鍛えられた古代の太刀でした。

 めでたいことの初めから、相手の好意を無下にするのは縁起が悪いと考えた豊雄はこの太刀を受け取りました。
蛇性の淫

 真女児はしきりに「今宵はここにお泊まりなされては、」と豊雄のことを引き止めましたが、豊雄はこういって帰って行きました。

「許しのない外泊をしては親に怒られてしまいます。明日の晩は、上手く話して参ります」

 その夜も、豊雄はよく眠れぬままに夜は明けていきました。

 …翌日、何が起きるとも知らずに。

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「蛇性の淫」登場人物

<豊雄>
優しい性格で、真女児に惹かれる。

<真女児>
二十歳前くらいのあでやかな印象の女性。

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