» 蛇性の淫(1/8)「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

蛇性の淫(1/8)「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

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 いつの時代のことだったでしょうか。
 これは紀伊国の三輪が崎… そう、今で言う和歌山県の三輪崎とよばれるところでの、とある蛇にまつわるお話の一つです。

 昔、この三輪崎に大宅の竹助という男が住んでおりました。
 彼は漁業でよい収入にも恵まれ、大変豊かに生活をしておりました。

 そんな竹助は息子にも二人恵まれ、娘ももっておりました。
 長男の太郎は律儀な性格で真面目に家業を手伝い、
 二番目の子である娘は大和国、今の奈良県の人に嫁にと望まれて嫁いで行きました。

 そして三番目の子でもある次男の豊雄はといえば…
 優しい性格で風流を好み、しかし定職をもって生活しようという意思がありませんでした。

 父の竹助はそのことを心配していました。

「豊雄に財産を分けても、優しい性格だからすぐに人に取られてしまうだろう。
かといって、よそに婿にいかせても結局家を潰して辛い思いをすることだろう。
…しかたがない。
豊雄にはこのまま好きにさせて、これで学者にでもなれるならよし、法師になるならそれもよし。
生きている限りは長男に世話をさせることにするとしよう」

 こう考えた竹助はとくに厳しいしつけなどをすることもなく、豊雄を自由に暮らさせることにしたのでした。

 そのころ豊雄はというと…新宮(しんぐう。地名。)の神宮である阿倍弓麿(あべのゆみまろ)を学問の師として、勉学のために彼のもとへ通っていました。

 ▲ ▲ ▲ ▲

 そしてある九月下旬の一日のことです。

 その日の海は波一つなく凪いでおりました。しかし、突然東南の方向に雲が広がり、小雨が降ってきたのです。
 豊雄は師匠のところから雨傘を借りて帰る途中、飛鳥神社(新宮市上熊野にある阿須賀神社)が眺められるあたりまでやってくると、
雨足はがさらに強くなってきたので近くにあった漁師小屋立ち寄って雨宿りをすることにしました。
 小屋の主である老人が腰をかかめて出てきて、汚れた敷物を差し出しながら「これはこれは末の若旦那様… こんな見苦しいところへおいでくださりました。
さぁ、どうぞそれをお敷になって…」と豊雄を招き入れました。
 豊男は「しばらく雨宿りをするだけですからお構いなく… 気を使わなないでくれ」と言って休んでいました。
 すると、外から小屋の中へと声がかかります。

「すみません、軒先をしばらくお貸し下さいな」

 そう言いながらやってきた人物は二十歳前くらいの大変あでやかな印象の女性と、かわいらしい十四くらいの少女がやってきました。
 少女に包を持たせ、彼女は雨にしとどと濡れて困っているようでしたが、豊雄を見たとたん急に顔を赤らめ、恥ずかしそうな素振りをします。
 そんな上品な様子をみて、豊男もおもわずこころを動かされ、こう思います。

「このあたりにこんな美しい人が住んでいたとは、知らなかった。
きっと彼女は、都人で熊野にある本宮、新宮、那智神社の熊野三山へお参りしたついでに
海が珍しくてここで遊んで帰るのだろう。
それにしたって、共の男も連れていないなんて無用心だなぁ」

 豊雄は体を少しずらして、彼女に「ここに入られるといい。雨もまもなく止むことでしょう」とすすめました。

 狭い小屋ですから、女と豊雄は向かい合うようにすわりました。
 それにしても、彼女は見れば見るほど美しい女性で、この世のものとは思えないほどです。豊雄は気もそぞろに彼女に尋ねました。

「貴い身分のお方とお見受けいたしますが、三山詣においででしょうか。それとも、峰の湯(湯治)でしょうか?
こんな代わり映えのしない荒れた海辺の、どこがお気に召して見物なさるのでしょう。
ここは昔の人がこう詠んだ土地なのです。

”くるしくも ふりくる雨か 三輪が崎

佐野のわたりに 家もあらなくに”

(なんと間の悪いことに、今降り出してしまった雨だなぁ。
ちょうどこの三輪が崎の佐野のあたりには、雨宿りができる家もないというのに)

…この歌は今日のような様子を表しているのです。
この家は粗末ですが、私の親が目をかけている者の家です。
お気楽に、どうぞ雨が止むまでお休みください。
それにしても…どこにお泊りですか?

お見送りするのもかえって失礼ですから、この傘を持ってお出かけください」

 と、豊雄は雨傘を差し出しますが、彼女は一度断りました。

「ご親切なお言葉、ありがとうございます。
その暑いお気持ちで、わたしの濡れた着物を乾かしてまいりましょう。
私は京都のものではございませぬ。
この近くに数年住んでおりますが、今日は吉日ということで那智神社までお参りいたしました。
しかし、急に降り出した雨の激しさが… あまりに恐ろしかったもので、
あなた様がここで雨宿りをなされてるともしらずついふらと立ち寄ってしまいました。
屋敷はここから遠くありませんので、雨が止んでいるうちに帰りましょう」

 しかし、豊雄は彼女になおも勧めます。

「この傘をお持ちください。
何かのついでにお返しいただければ…… 雨も一向に止むようには思えません。
ところで、お住まいはどちらですか?
私の方から使いを出してもよいのですが……」

「新宮のあたりで、県の真女児の屋敷はどこかとおたずねくださいまし。
日も暮れそうですから… ご親切のほど、頂戴して帰りまする」

 彼女はそういうと傘を受け取り出て行きました。
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 その後、豊雄は主の蓑笠を借りて屋敷に帰りましたが、真女児の面影をどうしても忘れることができません。

 その夜はなかなか寝付くことができず、明け方になってようやくうとうととし始めます。すると、豊雄は夢の中で、真女児の屋敷を訪ねていたのです。
 その家…… いえ、屋敷の門構えは高く、家の作りもとても立派で豪壮なものでした。蔀(しとみ)と呼ばれる日差しや風雨を防ぐための板戸をおろし、
簾(すだれ)もきちんと垂らされており奥ゆかしくみえます。
 そして真女児があらわれ、豊男を出迎えながら彼女は奥の方へと誘ったのです。

「あなたのお情けを忘れがたく、あなたがおいでになれるのをお待ち致しておりました。
さぁさ、こちらへおはいりくださいませ」

 豊雄は彼女に出迎えられ、酒や果物などさまざまなご馳走をいただき、楽しく酔って気持ちがよくなり……そして、真女児と枕をかわして契りを結んだ、
と思ったところで夜は明け、彼ははっと夢から覚めました。

 これが夢でなく、現実であったのなら。

 と、おもわず願いたくなる気持ちからか、豊雄は朝食を取ることさえ忘れて家を出て、真女児が住んでいると言った新宮の方へと訪ねて行ったのでした。

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「蛇性の淫」登場人物

<豊雄>
優しい性格で、真女児に惹かれる。
<真女児>
二十歳前くらいのあでやかな印象の女性。

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