» 貧福論「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

貧福論「雨月物語-1768~1776年刊 著者:上田秋成 -」

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陸奥国、蒲生氏郷(がもう うじさと)の家に岡左内という武士が仕えていた。高禄を得て、武勇の誉れ高く、「ますらお」の名を東国一帯に轟かせていた。
けれど、この男にはひとつだけ、酷く偏った性癖(くせ)があった。――とにかく、お金が好きなのである。
倹約を掲げ、長年、家を取り締まってきたため、かなりの富を蓄えていた。また、士兵を訓練する合間に、茶の湯や華道をたしなむのではなく、一室に籠って、貯めたたくさんの金貨を敷き並べて楽しむ様は、世間の人々が月や花に遊楽する以上であった。そのような振る舞いを気味悪がって、吝嗇(ケチ)で卑しい根性の持ち主だと、人々は彼を爪弾きにして憎んだ。

ある日、長くこの家に奉公した下男に、黄金を一枚、密やかに隠し持った者がいた。これを聞いた左内は、その男を呼び寄せてこう言った。
「崑崙山の名玉も、乱世にあっては瓦礫と同じだ。このような時代に生まれ、弓矢を取る身としては、望むべきは棠谿(とうけい)、墨陽(ぼくよう)の剣、その上、持ちたいのは財貨である。けれど、どんな名剣であっても、千人の敵に対抗することは出来ないだろう。その点、金貨は天下の人を従わせることも出来る。武士たる者、決してこれを粗末に扱ってはならぬ。お前が賎しい身分で、不相応な財貨を手に入れたのは傑作だ。褒美をやらねばならん」
そう言って、十両の金子を与え、帯刀を緩し、武士の身分に取り立ててやった。

世間の人はこの話を聞いて、「左内が金を蓄えるのは、金銭に貪欲だからではなかった。彼は当世には珍しい、ただの変わり者なのだ!」と、彼を誉めそやすようになった。

その夜、眠る左内の枕元へ人の近づく気配があった。それに気づいた左内が目を覚ますと、燈台の下に、小さな老爺が笑みを湛えて座っていた。
貧福論700-394
「ここに来たのは誰だ。わたしに食糧を借りようというのなら、もっと腕っぷしの良い大男どもが押し入りそうなものじゃないか。お前のような老いぼれがわたしの眠り襲うとは、さては狐か狸の仕業だな? おい、何か得意な術(わざ)でもあるか。あるなら秋の夜の目覚ましに、少し見せてみろ」
そう言って、左内は少しも驚き騒ぐ様子がない。小さな翁は、にこにこと笑みを浮かべたまま、口を開いた。
「ここへ参上したのは、妖怪でも、人間でもない。日頃、貴殿が大切にしている黄金の精霊である。長年、手厚くもてなしてもらえたのが嬉しくて、貴殿と一夜を語り明かしたいと思い、参上したのだ」
「黄金の精霊、だと?」
「左様」
訝しがる左内に、しかし老爺は気を悪くするでもなく、嬉々として語った。
「今日、貴殿が下男に褒賞を与えられたのに感心して、儂が考えている心の内などを語ろうと、こうして老爺の姿となってやって来た。十にひとつも役に立たない無駄話だが、『思うこと言わざるは腹ふくるるわざ』とやら、わざわざ参上した次第だ」

――そうして、ここから老爺と左内の長い夜が始まった。

「さて、思えば、富みて驕りたかぶらないのは大聖孔子の道である。それを、世のさがない言葉に『富める者は必ず心がねじけている。富める者の多くは愚かである』というのは、たとえば晋の石崇や唐の王元宝のような、貪欲無慈悲で人に嫌われる者たちのことだけをいうのである。いにしえの昔、富み栄えた人というのは、天の時をはかり、地の利を見極め、自然な結果として富貴を得たのである。
斉に領地を与えられた太公望呂尚は、民に産業を教えたので 、海辺の人々は、その利を求めて斉に移住した。菅仲は九回も諸国を連合させ、自身は諸侯の臣下でありながら、列国の君主にも勝る富を得た。范蠡(はんれい)、子貢(しこう)、白圭(はっけい)などは、産物を売買したその利益で巨万の富を築いた。司馬遷は、これらの人々を列記して『貨殖列伝』を書いたが、その所説が卑しいと、後世の学者たちが競うように非難したのは、道理を深く理解しない人のいう言葉である。
一定の決まった生業なしに、安定した心はない。百姓は農耕に精を出し、工匠はその仕事でこれを助け、商人はその生産物を流通し、それぞれが自分達の生業をきちんと全うして家を豊かにし、先祖を祀り、子孫の繁栄を謀る以外に、人というもの何を為すというのであろう。諺にもいうだろう。『富豪の子は刑死や晒し首にならぬ』、また『富貴の人は王侯貴族たちと楽しみを同じくすることができる』と。まことに、淵が深ければ魚はのびのびと泳ぎ、山が高く深ければ獣がよく育つのは、天地自然の理にかなっているのである。
ただ、『貧しくして、さらに楽しむ』という言葉もあって、それが学者や詩人たちの惑いを起こす発端となり、弓矢を取る勇士たちも、富貴が国の基であることを忘れ、兵法や武芸を磨くことばかりにふけっては破壊と殺人を繰り返す。己の徳を失い、子孫まで絶やすのは、財を軽んじて名を重しとする迷いである。儂が思うに、名誉と財産のふたつを得るために、心もふたつ必要だということはない。先程の『貧しくして……』の言葉にとらわれて、金の徳を軽んじては、自ら清貧と称し、富貴の道を捨てて鍬を取って生計を立てる者を賢人と称しているけれど、その人は賢くとも、その行為が賢いとはいえない。
黄金は七宝の中でも最上のものである。土に埋もれているときはそこに霊泉を湛え、不浄を取り除き、妙なる音を発する。このように清らかなものが、どうして、愚かで、無知で、貪欲残忍な人のところだけに集まるというのか――。嗚呼。今宵、長年、この胸中に溜まりに溜まっていた憤りを吐き出すことが出来た喜びよ!」

老爺の話に興味をそそられた左内は、膝を乗り出して言った。

「なるほど。貴殿の話を聞くに、富貴の道の貴さは、わたしが考えていたことと少しも変わりない。ただ、愚問ではあるがひとつだけお尋ねしたい。
今、貴殿が説かれたことは、もっぱら金の徳を軽んじ、富貴を極めることが大業だという道理を知らぬことは、間違いであると申されたが、しかし、かの学者たちの言うことも決して理由がないとは申せません。
当世の富める者は、十のうち八までは大方、貪酷残忍の人ばかりです。わたしは十分な俸禄をもらいながら、兄弟や一族をはじめ、先祖代々奉公してきた家人たちの貧しいのを救うこともせず、隣に住む人が落ちぶれて、援助してくれる人さえいなくなり零落しても、その土地を安く買い叩いて己のものとし、今、わたしが村長と敬われても、むかし借りた人のものを返さず、礼儀のある人が席を譲れば、その人を下僕のように見下し、たまたま旧友が寒暑の見舞いに訪ねて来ても「もしや、金を借りにきたのか」と疑って、居留守を使う……なんて類いのことは、これまで多く見聞きしてきたことです。
また、主君に忠節の限りを尽くし、両親に孝廉を尽くすと評判高く、身分の高い人を敬い、身分の低く貧しい人を助ける心がありながら、冬の厳しい寒さの中をたった一枚の衣で過ごし、夏の厳しい暑さの中で着たきりの衣を洗濯する余裕もなく、豊作の年であっても朝夕一杯の粥だけで腹を満たし、そんな生活をする人の元には、もちろん朋友が訪れることもなく、兄弟や一族からの往来も絶たれ、交際を断られ、しかしその怒りを訴える術さえもなく、あくせくしたまま一生を終える者もいる。それならば、その人は己の生業に不熱心だったのかと言われれば、朝は早くに起きて、夜は遅く寝て、精力的に西に東に走り惑う様、少しのゆとりもない。その人は無能でもなく、才覚はあるのに悉く外れてしまうのです。
これらの人は、顔回が瓢を抱いて楽しんだという清貧の味わいすら知らぬままなのです。こうして果てるのを、仏教では「前世の因縁」と説き、儒教では「天命」だと教えるけれど、もし来世というものがあるならば、現世での密かな善行も来世の期待となるから、人々は一応、憤りを沈めるのでしょう。ならば、富貴の道は仏教ではその道理を尽くし、儒教においては出鱈目だというのでしょうか。貴殿の論も、仏教の教えを拠り所とするものなのでしょうか。もし、それが違うというのなら、詳しく話をお聞かせ下さい」

老爺は答えた。

「貴殿の問われたことは、いにしえより論じられながら、未だ結論は出ていない。仏の教法を聞けば、富貴と貧賤は前世で善行を修めたか否かで定まるとか。これは粗雑な教えである。前世にあったとき、自分をよく修め、慈悲の心を専らに、他人とも情け深く交際した者が、その善き行いの報いとして、現世で富貴の家に生まれてきて、自分の財力を頼んで人に勢威を奮い、あらぬ虚言を言い募り、浅ましい野蛮な心を見せるとするならば、いかなる返報で前世での善心がこうまで成り下がらなければならないのか。仏菩薩は名誉や私利私欲を厭うと聞いているが、どうして貧福のことに係うことがあろうか。
それを、富貴は前世の善行の、貧賤は前世の悪行の報いとのみ解くのは、無知な女たちをたぶらかす、いい加減な仏法である。貧福を言わず、ひたすら善行を積む人
には、たとえ自分自身には来なくとも、子孫は必ず幸運を得るのだ。『宗廟これを饗けて、子孫これを保つ』というのは、この道理を絶妙に言い表した言葉である。自分が善行をして、自分にその報いが来るのを待つのは、真っ直ぐな心とは言えないだろう。また、悪事を行い、欲深く、自分のものを惜しみ、人のものを貪るような人間が、富み栄えるばかりか、寿命を全うし、幸福な最期を迎えることの道理について、儂は人とは異なる考えを持っているのだ。もうしばらくだけ、聞いてもらいたい。
儂は今、仮の姿を現して語ってはいるけれど、神でもなく、仏でもなく、元々は感情を持たない物であって、人間とは異なる考え方を持っている。
昔の世では、天の時にかない、地の利を明らかにし、生業をよく治めた者が富貴の人となる。これは、その方法が自然の理にかなっていたからで、財貨がここに集まるのもまた天地自然の道理であった。また、品性卑しく良く深い人間は、金銀を見てはまるで父母のように崇め親しみ、食べるべきものも食べず、着るべきものも着ず、得難い命さえ惜しいとは思わず、寝ても覚めても忘れることもない。そこに金銀が集まることは、眼前に見るが如く明らかな道理なのだ。儂は元々、神でもなければ仏でもない、ただ非情の物である。その非情の物として人間の善悪を明らかにし、それに従わなければならないという謂われはないのだ。
善をすすめ、悪を罰するのは、天であり、神であり、仏である。この三つは、人が行うべき「道」なのだ。儂らのような類いのものが及ぶべきことではない。ただ、各々がたが、儂ら非情の物を大事にしてくれる、そこに集まるのだと知って頂きたい。ここが、金に霊があっても人とは心情が異なるところである。
また富みて善行を施すとしても、理由もなく他人に恵みを施し、その相手の不義を見抜けずに金を貸し与えるような人は、結局、善行を施しても破産してしまうだろう。これらは金の用途を知り、しかし金の徳を知らず、疎かに扱ったせいである。
また、身の行いもよく、人柄も誠実でありながら、世の片隅に追いやられるような生活を送る人は、天帝の恵み少なく生まれ出でてしまったのであり、どれだけ精神を労しても、一生の内に富貴を得ることはない。だからこそ、昔の賢い人は、求めがいがあるときだけ富を求め、求めがいがなければ求めなかった。己の気が向くまま俗世から逃れ、山林で静かな一生を過ごした。その心の内はいかに清々しかったことだろうかと、とても羨ましく思う。
だが、そうは言っても、富貴の道は技術であって、上手な者は富をよく集めるし、下手な者は瓦の壊れるよりも簡単に失くす。その上、我々、黄金の類いは、それぞれの人の生業につきまとっていて、一定の主人も定めず、ここに集まるかと思えば、その主人の行いによってはたちまちあちらへと走り去り、水が高いところから低いところへと流れていくように不定なものである。夜も昼も往来して、休むときもない。ただ、一定の職にも就かず遊び暮らすようならば、泰山の富も食い尽くしまうだろうし、江海の水もやがて飲み干してしまうだろう。何度も言うが、徳のない者が財を築くのは、これと競い合う道理であり、徳のある人は議論なさらぬことだ。時の利を得た人が、倹約を守り、無駄を省き、よく生業に務めるならば、自然と家は栄え、人も従うであろう。儂は仏教で説く、前世の因縁などというものは知らぬ。儒教でいう天命というものにも関わってもいない。それらとは異なる次元に遊行するものなのである」

左内は、興奮したように鼻を鳴らした。

「貴殿の論説は、まことに素晴らしい! 長年、抱いていた疑念も、今宵、すっかり晴れてしまった。ついでに、もうひとつお伺いしたい。今、豊臣家の威風は天下を靡かせ、五畿七道もようやく静まったように見えるけれども、国を失った義士たちがあちらこちらに潜み隠れて、或いは大国の領主に身を寄せて世の変化を窺い、かねての志を遂げようとしています。民百姓もまた、戦国の世の民であるから、鋤を捨てて矛を手に取り、農耕を事とせず、機を伺っている有り様で、武士たる者は枕を高くして眠ることも出来ません。この様子では、今の政も長く不朽ではなさそうです。一体、誰が天下を統一して民の生活を安らかにしてくれるのでしょう。また、貴殿は誰の味方をなさるのか」

老爺は答えた。

「それもまた人間界のことであるから、儂が知るところではない。ただ富貴の道を以て論ずるならば、武田信玄のごときは、その智謀は百発百中でありながら、生涯の威勢は僅かに甲斐・信濃・越後の三国に奮うだけであった。しかし名将の呼び声高く、世間はこぞって賞賛した。信玄の末期の言葉は『当代において、織田信長は一際、果報に恵まれた武将である。自分は、平生、彼を侮って征伐することを怠り、今、この病に臥してしまった。自分の子孫は、やがて信長によって滅ぼされるであろう』と言ったそうだ。
上杉謙信は勇将であり、信玄亡きあとは天下に匹敵するものはいなかったが、しかし、不幸にして早く亡くなってしまった。
信長は人よりも器量に優れているが、智は信玄に及ばず、武は謙信に劣っている。けれども、富貴を得て、天下統一のことも、一度は彼の手によって成し遂げられた。しかし、家臣に恥辱を与え、命を落としたのを見ると、文武を兼ねた優れた人物というわけでもないようだ。
豊臣秀吉は志こそ大きいが、始めから天地に満ちるというものではなかった。柴田勝家と丹羽長秀の富貴を羨み、羽柴という姓を作ったことからも知ることが出来よう。今は竜と化して天空に昇り、かつての身分や境遇を忘れているのではなかろうか。
この秀吉は、位を極め、確かに竜と化したといえるのだが、実は蛟蜃(みずち)の類いに過ぎない。『蛟蜃の竜と化したるものは、その寿命は僅か三年を過ぎない』と言われているが、結局、秀吉も子孫が途絶えるのではなかろうか。驕慢な心から治める世は、昔から長続きしない。人が守るべきは倹約であるか、それも過ぎれば卑吝(ひりん)に落ちてしまう。倹約と卑吝の境界をよく弁えて、努めることこそが大事なのだ。今、豊臣家の政が長く続かなくとも、万民が平和に栄え、どの家々もが千秋楽を歌う日は、すぐ近くまで来ている。貴殿のお望み通りにお答えしよう」と言って、次の八字の句を歌った。

堯蓂日杲 百姓帰家
(太平の徴象は日々に明らかになり、万民は家に帰服するのである)

ふたりは数々の話に興じたが、それも尽き、遠く寺の鐘が五更の時を告げた。老爺は名残惜しそうに言った。
「夜はもう明けてしまった。これでお別れしよう。今宵の長い談義で、貴殿の眠りをすっかり妨げてしまったことだ……」
そう言って、立ち上がって部屋を出て行く、その姿がふっと掻き消えて見えなくなった。

左内はつくづくと今夜のことを思い、あの句について思案してみると「百姓家に帰す」の句の真意もほぼ掴むことができ、その言を深く信じる気持ちになった。まことに瑞草の瑞兆のある、めでたい言葉であったことだ。

<<青頭巾 ||


「貧福論」登場人物

<岡左内>
陸奥国、蒲生氏郷に仕える武士。
<老爺>
左内が大切にしていた黄金の精霊が姿を現したもの。

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