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雨月物語

雨月物語

怪談物語をおさめた短編小説集「雨月物語
死してなお残る「信念」「執着」と
いったものが描かれています。

雨月物語序章

羅貫中は水滸伝を書いて子孫三代聾唖の子が生まれ、紫式部は源氏物語を描きおろし一度地獄に落ちたという。 これは偽りを真実として書いた業が己が身に及んだためだろう。

しかしながらその文学を読んでみれば、それぞれ興奮するほどに面白い。 鳥がさえずり静まるがように真に迫って抑揚も転がるようで読者に共鳴を与える。

太古の事実を目の当たりにするようである。私はちょうど、いま語るにふさわしい話を持っている。 語りたいままに語ってみたい、それは雉が鳴き龍が戦うがような話である。

自分でもずさんであることは認める。だから、本書を読む者も実話として読んではいけない。 創作を私が書いたとして、どうして報いを受けて兎口・獅子鼻の子孫が生まれることがあろう

明和五年の晩春雨晴れて月がおぼろにかすむ夜窓の下元で編成しこれをしょしに託して雨月物語と題した。

剪枝畸人ここに記す

雨月物語のお話

西行法師が讃岐国に崇徳新院の墓をたずねます。すると、西行の前に崇徳新院の悪霊があらわれ、恨みつらみを語ります。ここ最近の世の乱れは自分がなしている祟りだと。崇徳新院の悪霊が語ったとおり、この後平家の繁栄はとだえ、壇ノ浦にほろぼされます。

母とふたり暮らしをしている丈部左門の元に病気でふせった武士があらわた。丈部左門は看病をして武士は快復し菊の節句に再開することを約束して故郷へと帰ってゆく。しかし、約束の日に現れた武士は亡霊の姿でした。

葛の葉が風で翻る秋の頃には、きっと帰ってくるよ」そう妻に約束して故郷を後にした勝四郎だったが、戦乱の世の中で心ならずも七年の月日を都で過ごしてしまいました。もう妻は死んでいるだろう、せめて菩提を弔おうと、ようやく帰ってきた彼が目にしたものとは

興義は画僧として有名であった。特に鯉の絵を好み、夢の世界で多くの魚と遊んだあとに、その様子を見たままに描いた絵を「夢応の鯉魚」と名づけていた。そして、鯉の絵は絶対に人に与えることはなかった。

浮気性で遊び人の正太郎と吉備津神社の娘の磯良、吉備津の御釜祓いにて二人の婚姻には凶兆が出ます。周囲はそれを無視して結婚させますが…。嫉妬が巻き起こす恐ろしい怪談話です。

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