» 雷を捉えし縁「日本霊異記 著者:景戒」

古代の物語

古代の物語

平安時代の雅なお話から魑魅魍魎が
出てくるお話までご紹介。
陰陽師安倍晴明が活躍するお話も
多く紹介しております

雷を捉えし縁「日本霊異記 著者:景戒」

  • 登場人物
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
4.5/5 (2)

少子部の栖軽は、泊瀬の朝倉の宮で23年間天下をお治めになった雄略天皇(大泊瀬稚武天皇(おおはつせわかたけ)の天皇ともうす)の護衛の武官で、腹心の従者であった。天皇が別邸である盤余(いわれ)の宮に住んでおられた時のこと、皇后と大安殿でともにお休みになっておられたのを、栖軽はそれと気づかずに御殿へ入ってしまった。天皇は恥じて、そのまま事をやめてしまわれた。

まさにその時、空で雷鳴が轟いた。
すぐに天皇が「なんじ、雷をお迎えできるか」と仰った。栖軽は答えて「お迎えして参りましょう」と申した。そこで天皇は「ではお迎えしてきなさい」と命じなさった。
栖軽は勅命を受けて宮中から退出し、緋色の髪飾りを額につけ、赤い旗をつけた鉾(ほこ)を掲げて、馬に乗り、阿部の山田村の前の道と豊浦寺の前の道を走って行くのだった。

やがて軽の諸越の街に至り、栖軽は大声叫んで「天の鳴る神よ、天皇がお呼びであるぞ」と申し上げた。そしてそこから馬を引き返して走りながら、「雷神といえども、天皇の呼びを断ることがあろうか」と申していた。
馬を走らせ帰る道すがら、豊浦寺と飯岡との間に雷神が落ちていた。これを見た栖軽は神官を呼び、輿に雷神を乗せて宮中に運び、天皇に「雷神をお迎えして参りました」と申し上げた。

その時、雷が光を放ち、明るく照り輝いた。天皇はそれを見て恐れ、雷神にたくさんの捧げものを献上し、雷神を落ちたところにお戻しになったという。
雷を捉えし縁

そこを今は雷丘と呼んでいる。飛鳥の都の小治田の宮の北にある、

その後、時が経ち栖軽が亡くなった。天皇は勅命を下して栖軽の遺体を七日七夜安置して奉り、彼の忠信ぶりをしのばれ、雷神の落ちたところと同じ場所に彼の墓をお造りになった。
永遠の記念のために碑文を刻んだ柱を立て、「雷を捕えし栖軽の墓」と記した。

雷神はこれを憎み恨んで雷を落とし、碑文の刻まれた柱を蹴り踏んだが、その柱の裂けたあいだに挟まってまたも捕えられてしまった。
天皇はこれを聞いて解放しなさったので、雷神は死をまぬがれた。雷神はそのまま放心して七日七夜留まったのだそうだ。

天皇の勅使はふたたび碑文の柱を立て、そこに「生きても死にても雷を捕えし栖軽の墓」と記した。
その昔、この場所が雷丘と名付けられた話の起こりは、以上のような次第である。

*初瀬の朝倉の宮 奈良県桜井市にあった皇居。
*盤余の宮(いわれのみや) 奈良県磯城郡にあった別邸。


「雷を捉えし縁「日本霊異記」」登場人物

<少子部の栖軽>
雄略天皇の護衛の武官。

<雄略天皇>
五世紀後半の天皇。第二十一代の天皇に数えられている。

お話の評価

ページトップ