» 香坂王と忍熊王の反逆 「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

古事記

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古事記は存在する日本最古の歴史書。
上巻は日本神話、中巻は神武天皇から
応神天皇までの記事、下巻は仁徳天皇
から推古天皇までの記事が収られます。

香坂王と忍熊王の反逆 「古事記 -712年献上 作者:太安万侶 -」

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神功皇后は新羅からの帰り、自分達の帰りをよく思わぬ者がいるのではないかと警戒していた。
そこで、皇后は一計を案じ、仲哀天皇の棺を乗せた喪船に品陀和気命(ほむだわけのみこと)らを密かに乗せて、「御子は既に亡くなった」と嘘の情報を流した。

大和にいた品陀和気命の異母兄・香坂王(かぐさかのみこ)と忍熊王(おしくまにみこ)らはその噂を聞きつけ、クーデターを企てた。
その吉兆を占うため、斗賀野(とがの)に赴き、誓約狩(うけいがり)をすることにした。

香坂王がくぬぎの木に登っていると、怒り狂った巨躯の猪が現れ、木を掘り倒し、香坂王を食い殺してしまった。
だが、忍熊王はそのことを恐れず、軍を起こして皇后の軍船を待ち構えた。

向こうから喪船がやってきたが、忍熊王はそれをやり過ごし、後から流れてきたうつほ舟を皇后たちが隠れているものと攻撃した。
すると、皇后の軍勢は喪船から現れて、忍熊王の背後を突いた。
うつほ舟は皇后の策で、忍熊王を油断させるダミーであった。
忍熊王軍の将軍は、伊佐比宿禰(いさひのすくね)。彼は難波の吉師部の祖先である。
一方、品陀和気命と皇后の軍は、難波波根子建振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)を将軍にして戦った。彼は丸邇臣(わにのおみ)の祖である。

皇后軍は伊佐比宿禰を追い詰めて、山代(京都府南東部)まで後退させたが、ここにきて戦局は膠着した。

そこで建振熊命は、驚くべき行動に出た。
なんと忍熊王軍に降伏を申しでたのだ。
「息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)は既に崩御された。依って、我々にこれ以上戦う理由はない。」
そう伊佐比宿禰に伝え、持っていた弓の弦を切り、もはや戦意のないことを示した。
しかしこれは伊佐比宿禰を欺く策であった。

伊佐比宿禰が建振熊命の降伏を受け入れ、武器と兵をおさめたその時、すぐさま建振熊命は髻(もとどり)の中に隠し持っていた予備の弦を弓に張り、反撃に出た。
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これにより伊佐比宿禰の軍は混乱に陥り、逢坂まで撤退し再度交戦したが、とうとう建振熊命は楽浪(ささなみ・琵琶湖西南岸一帯)にてこれを撃破した。

追い詰められた二人は小舟に飛び乗り、船は次第に湖岸から遠ざかっていった。
だが、追手から逃れるためではない。
敵の手で殺されるより、自ら入水する道を二人は選んだのだった。

「我が戦友(とも)よ 討ち果てるより 湖(うみ)の底 共に参ろう 鳰鳥(にほどり)の如く」

湖上の小舟から歌が聞こえた後、二人は身を投げ、琵琶湖の底へと消えた。

<<神功皇后の新羅遠征 || 気比大神>>


「香坂王と忍熊王の反逆」登場人物

<神功皇后>
仲哀天皇の妃。応神天皇の母親。
<品陀和気命>
のちの15代・応神天皇。
<香坂王>
品陀和気命の異母兄。クーデターを企てるも、誓約狩で事故死する。
<忍熊王>
品陀和気命の異母兄。香坂王とともにクーデターを目論み、皇后軍と交戦する。
<伊佐比宿禰>
忍熊王軍の将軍。難波の吉師部の祖。
<難波波根子建振熊命>
皇后軍の将軍。丸邇臣の祖。

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