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古代の物語

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法花経を億持せし者の舌、曝りたる髑髏の中に著きて朽ちずありし縁-日本霊異記より

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吉野の金の御岳に、一人の僧がいた。僧は峰伝いに歩き巡り、読誦して修行していた。すると、僧の声に応えるように、行く先から声がする。耳を澄ますと、その声は法華経、金剛般若経を読んでいた。
尊くも、しかし怪しくも思って立ち止まり、草を押し開いてみると、そこには髑髏(ひとかしら)があった。

久しい年月が経ち、日に晒されていたが、その舌は爛れずに生きているかのごとく髑髏(どくろ)に張り付いていた。頭蓋の中にはひゅうひゅうと空気が流れ。かくかくと顎が動く、蠢く。赤い舌が躍る。

僧はこの髑髏を清浄な所に取り収め、恭しく髑髏に語った。
「ああ、前世からの因縁によって、あなたは私と巡り逢いました」
sitanohaetagaikotu

そしてその上を草で葺き覆って、ともに住んで経を上げ、日に六度、峰を歩きながら経を読んだ。僧が法華経を読むと、髑髏も共に読むので、その舌を見ると、躍るように舌が振え動いていた。なんとも不思議なことである。

法華経の霊験を得た髑髏は、みな不思議な力を持つのだろうか。こんな話もある。

奈良の都で大八州国(おほやしま。日本)をお治めになさった帝姫・阿倍天皇の御代に、紀伊国牟婁郡熊野村に永興禅師という人がいて、海辺の人々を教え導いていた。
時の人はその行いを尊び、誉め称えて永興菩薩と呼んでいた。
また、奈良の都より南に住んでいたので、南菩薩とも呼ばれていた。

そのころ一人の僧がいて、永興菩薩のもとを訪ねて来た。持っているものは、法華経一部(字を細かく書き、巻数を減らして持っていた)と、白銅の水瓶一口、縄床(縄を張った椅子)一足だけである。僧は大乗の教えである法華経を大切に唱え、これを毎日の行としていた。

一年ほど過ぎたある日、僧は別れを告げてこの地を去ろうと思い、永興菩薩を恭しく敬礼(きょうらい)し、縄床を差し上げて言う。
「そろそろ私はここを去り山に籠ろうと思います。伊勢国を越えて行くつもりです」
南菩薩はこれを聞いて、もち米の干飯(ほしいい)をついて粉にしたものを二斗僧に与え、優婆塞(うばそく。半僧半俗の修行者)を二人付き添わせて見送らせた。
僧は一日の道程を送ってもらうと、法華経と鉢、干飯の粉などを優婆塞に与えて帰らせ、自分はただ麻縄二十尋(約30m)と水瓶一口のみを持って別れ去った。

それから二年ほど過ぎた頃、熊野村の人が熊野川の上流に行き、木を伐って船を作っていた。するとなにやら山の奥から声が聞こえてくる。よくよく聞くと、法華経を読む声であった。日を重ね月を経ても、なおその声は止まない。
船を作る人は読経の声を聞いて信仰心を起こして尊び、自分の食糧を捧げようと読経の出所を探したが、その姿かたちを見ることはできなかった。
やむなく来た道を引き返していても、読経の声はいまだに止まなかった。

半年経って、船を引き出すためにまた山に入った。耳を傾ければ、読経の声が依然として山中ほのかに響いている。
いよいよ不思議に思って、このことを永興菩薩に申し上げた。

南菩薩は不審に思い山へ行くと、まことに経を読む声がする。声の出所を尋ね求めてみれば、そこには一つの屍骨(しにかばね)があった。麻縄を両の足に繋ぎ、投げた身が岩に吊りかかって死んでいた。麻縄は既に朽ち腐り、遺骸も白骨を晒している。
ふと遺骸のそばを見やると水瓶があり、南菩薩は悟った。
……この遺骸が、別れ去った僧のものであることを。
南菩薩はその変わり果てた姿を見て悲しみ、涙を流して寺へ帰った。

そうして三年が過ぎ、木こりが「経を読む声はいつものように山の中に響いています」と言うので、南菩薩はもう一度山へ行ってその遺骨を取ろうと髑髏を見ると、三年経っているのにも関わらず、その舌は赤々と髑髏に張り付いていた。
舌はその瑞々しく柔らかな姿を蠢めかせて経をなす。頭蓋は日に晒され白くなったが、舌は赤くなまめかしく躍り、生き物そのものの状態であった。

このことによって、僧が経を読誦し功を積んで霊験を得たこと、また大乗仏法の霊妙なる力を、人はまことに知る。

貴きかな、禅師。血肉の身を受け、常に法華を誦じ、大乗の験(しるし)を得たり。
身を投げ骨を曝りて、髑髏(ひとかしら)の中、舌を著(つ)けて爛れず、是れ明らかに聖なり、凡(ただびと)にはあらず。


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